慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福沢展 余録
企画の現場から

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水原茂のユニフォームと紅梅キャラメルの話

展覧会実行委員の先生から、著名な野球部員のユニフォームを出陳したいとのご相談があったのが数ヶ月前。

その先生と共に東京ドームにある「財団法人 野球体育博物館」へ作品拝借のお願いに行ってまいりました。私自身は野球に造詣が深くないため、「水原茂(みずはらしげる)」が如何様な方であるかも存じませんでした。お若い実行委員の先生からお話を伺い、塾野球部にて活躍し、戦前の巨人軍に入団、のちに監督となられた方だと知りましたが、その時はただ野球体育博物館の学芸員の方と実行委員の先生との熱のこもった野球談義をそばで聞きつつ、「みずはら しげる」というのはとにかく凄い方なのだなと漠然としたイメージを抱いたに過ぎませんでした。

その後、ご所蔵館の特段のお計らいにより作品拝借のご内諾を頂いた頃、たまたま、知り合いの名誉教授に「福澤展に水原のユニフォームを出陳いたします。」とお話したところ「みみみ…水原、水原茂か。こここ…紅梅キャラメルだ!」というところに始まり、水原と紅梅キャラメルの関係をいつもながらの饒舌で語ってくださったのです。

要約すると、昭和26年に東京紅梅製菓株式会社が自社製品「紅梅キャラメル」におまけの野球カードを封入して販売したところ、当時の子供たちを魅了し、大ブームを引き起こしたというものです。60歳以上の方々には、懐かしく言わずもがなでありましょうが、野球カードを集めて紅梅製菓に送るとグローブやバットといった景品がもらえ、巨人軍の選手と監督の組み合わせで1チーム作るとユニフォームや野球道具1式がもらえるというものでした。

さて問題の水原ですが、彼のカードはなかなか出てこない、いわゆる「プラチナカード」だったということです。わたくしの「水原茂のユニフォーム」という一言が、某名誉教授の「水原茂 ⇒ 紅梅キャラメル ⇒ 野球カード ⇒ ”豪華景品への憧れ”と”水原のカードへの渇望”」という少年時代の鮮烈な体験に起因するの記憶の連鎖を呼び覚ましてしまったようです。お菓子の付属品を集めて景品獲得するために、虚しく努力した少年期の切ない思い出はどなたにでもあるのではないでしょうか。この日を境にわたくしにとっても「水原茂」は共感を喚起する特別な存在となったのでした。

この事件のあと、作品の状態確認のため野球体育博物館に再び参りました。水原のユニフォームは、実見いたしますと、フラノ製の生地に金モールの刺繍が施された高島屋の仕立てによる手の込んだものでした。上質のフラノ地では夏の試合時は、さぞや暑かったのではなかろうかと思いつつ、生地の感触を手に記憶させたのでした。この日、先の紅梅キャラメルの話をしたところ、学芸員のかたが紅梅キャラメルの参考文献をお持ちになり、野球カードの意義について簡単なレクチャーしてくださいました。水原茂監督、略して「水監(みずかん)」という言葉を覚えて、その日の訪問を終えたのでした。

野球音痴のわたくしが、「水監」ということばを思わず覚えてしまった「水原茂のユニフォーム」、東京・福岡会場にて展示されます。みなさま、それぞれの思いを胸に抱いてご覧になって頂ければ、幸いです。

<<参考情報(慶應義塾創立150年記念事業室から)>>

福澤諭吉展で展示される 早慶戦開始の挑戦状 で始まった伝統の早慶戦。早慶戦の歴史は、慶應義塾の歴史でもあります。

1943年には太平洋戦争によって早慶戦もやむなく中止になりました。両大学関係者の熱意によって行われた最後の早慶戦の話は 映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」 でも描かれました。

戦中、戦後にプロ野球で活躍した水原茂も、慶應義塾野球部の出身。旧制高松商業学校(現香川県立高松商業高等学校)で甲子園に出場、全国優勝を達成した後、慶應義塾にすすみ、戦前の六大学野球の人気選手(三塁手、投手)となりました。

2008/10/22 21:47:22
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