慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

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着流しのこだわり

_mod_3肖像というと、晴の姿を記録するものですから、普通は羽織・袴、もしくはスーツにネクタイといった姿が普通でしょう。

今でも卒業写真を撮るなんていうときには、さすがにTシャツやポロシャツは遠慮すると思います。でも、福澤の肖像画は、全て着流しです。和服で正装するときは、袴を着けるというのが常識ですが、それは武士の服装でした。空威張りが嫌いな福澤は、服装面でもそれを徹底し、武士らしい格好をすることも、ひいては身分の低い人たちに対してえばるということに繋がっている、だから大小の刀をやめると同時に袴を着けることもやめてしまい、着流しで通します。それは商人と同じ服装でした。福澤の門下生はみなそれを真似して、慶應義塾の塾生といえば、着流しに角帯を着けている、と誰もが知っていたといいます。

福澤は服装のことをのちに『福翁自伝』で次のように書いています。

「衣服の流行など何が何やら少しも知らず、また知ろうとも思わず、ただ人の着せてくれるものを着ている。あるとき家内のるすに急用ができて外出のとき、着物を着替えようと思い、たんすの引出しをあけて一番上にある着物を着て出て、帰宅のうえ家内の者がわたしの着ているのを見て、ソレは下着だと言って大いに笑われたことがある。」

でも、家族は、社会の固定観念を打破するためにわざとやっているようだった、とも言っていて、お正月などに挨拶まわりをするために袴を着けるときに、鏡の前で「これに大小(の刀)がつけたいな」と福澤がつぶやいたのを見たことがあるという話も伝わっています。この辺がまた、福澤という人物の面白いところです。

そういうわけで、残されている福澤の肖像画や写真などは、ほとんど着流しというわけです。今回展示されるものの中に、演説姿の福澤の全身像があります。これも着流しで腕組みをしている有名な絵です。いま残っているのは模写ですが、戦前は、和田英作が描いたものが大ホールと呼ばれた三田の慶應義塾の建物の壇上に掲げられていました。戦時下になると、式典などで勅語が読まれることが増え、その背後に着流しで腕組みしている福澤像があるという形になりました。それに対して軍人が、畏れ多いからあの福澤像を撤去せよ、と義塾に申し入れたという話があります。結局、撤去されることはありませんでしたが、この絵(写真)は空襲で焼けてしまいました。

2008/11/05 13:19:15
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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