慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

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ファザコンとしての福澤諭吉

   福澤諭吉の背後に、父親の影を指摘したのは、小泉信三でした。岩波新書の『福沢諭吉』の中で「父の影像」という章を設けて、そのことを指摘しています。

   福澤の父百助(ひゃくすけ)は、諭吉がかぞえで3歳の時に脳溢血で急死しています。かぞえで3歳というと、記憶がわずかでもありそうですが、満で言うと18か月。福澤諭吉は父親の顔を知りません。

  その福澤と、きょうだいたちは、母親の口から父親の姿を教えられます。折り目正しく、立派な父親像。そして、学者というに十分の学問を積んでいたにもかかわらず、低い身分ゆえに、その才能を開花させることができず、しかも、武士の世界で最も卑しいものとされていた金銭を扱う仕事をさせられ、その屈辱の中で生き、そして亡くなった父の姿でした。

   その父親が、生まれて間もない諭吉を前に、「この子が大きくなったら、身分に関係なく立身できる僧侶にしよう」といった話を、母親から聞いて、「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」と叫ぶのは、無理のないことでしょう。そして、福澤が、権力を笠に着た役人の空威張りや、爵位やら勲章やらを徹底的に嫌い、無位無冠を通したことと、父親の存在は無関係ではないでしょう。

   今日、たまたま開ける機会のあった資料の箱の中に、「墨」がありました。福澤が使った墨かと思い、包みを開けてみると、紙箱の裏に細かい墨書が見えます。明治30年に福澤が由来書きをしているもので、読むと、次のように書いてあります。

「文政天保の頃、尊厳百助君が大坂にて用ひられし墨の残なり。之を購ひたる価銀十匁なりしと云ふ/明治三十年十月/諭吉記」

   福澤はこう書き残して、その古びた墨さえも子孫に意味を伝えずにはいられなかったのです。今回の展覧会では、百助の書幅が出ます。いかにも律儀そうなまじめな書で、まじめなことが書いてあります。その書を前に、百助の姿を想像してみて頂ければ幸いです。

   ちなみに、色々なことを調べる方がいらっしゃるもので「百助自殺説」というのがあります。自殺した、と書いた古い本があるためですが、これはどうやら間違いです。前書いたように、福澤は健康作りに凝っていましたが、それは福澤家に中風(脳卒中)の遺伝がある、と意識していたからです。中風というのは、どう考えても父のことでしょう。ただ、自殺説では、部下の責任を取って自殺した、というように書かれているのですが、それもまた、百助の人柄についてはよく伝えている話のようにも思われます。

   この「自殺説」のような細かいことがお好きな方にオススメなのは、『「福翁自伝」の研究』(慶應義塾大学出版会)という本です。

福翁自伝に出てくることを、片っ端から考証している、敬服の外ない本です。買うには勇気のいる値段ですが、それを乗り越えられる方には、満足度抜群だと思います。

   そのハードルがあと一歩で乗り越えられなかった方は、こちらをゼヒ。福澤研究センターが中心となって、ついこの前まで、連日連夜、血の出る思いで編纂した事典です。地味で、マニアック。一般受けはまず望めないことは承知ですが、同種のものでこれほどの深みがあるものはないと、自負しております。読み物としてお楽しみ頂けると思います。枕にも最適です(笑)。ついでながら、少々宣伝をお許し下さい。

2008/12/16 22:22:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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