慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

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政治は政治、学問は学問

081215_19590001 福澤は、政治との距離に細心の注意を払いました。また、政治家や官僚が、権力を背景に空威張りすることを徹底して嫌いました。「骨の髄まで」という表現がありますが、福澤はまさに、骨の髄まで威張ることへの嫌悪が染みついていた、ということができるでしょう。

その徹底した態度を示す展示品があります。『言海』という日本で最初の近代的な国語辞典が完成したことを祝う、パーティーのプログラムです。なぜそれが、福澤の権威嫌いを示すのでしょうか。

ここに掲げた写真は、そのパーティーで当日配布されたプログラムです。これは展示品ではありません。中央に「伊藤伯」とあるのがわかるでしょうか。このパーティーで、最初に祝辞を述べたのは伯爵伊藤博文でした。その次に「西村(茂樹)先生」と書いていますが、最初はここに福澤の名前がありました。

当初準備されていたプログラムを事前に手にした福澤は、学者たちが伊藤博文の後に祝辞を述べさせられることに納得がいかず、怒ります。政治の世界では「貴顕」と呼ばれる地位にある伊藤でしたが、学問に全く関係のない人物です。何故一番に彼が祝辞を述べるのか、と。福澤はそこに、権威にへつらう風潮、あるいは官尊民卑の気風を感じ取ったわけです。そこで福澤は、自分の名前と祝辞のタイトルを墨で塗りつぶして、名前を除いて刷り直すよう依頼しました。再印刷されたのが、ご覧のプログラムというわけです。展覧会の会場には、福澤が黒々と自分の名前を塗りつぶしたプログラムを展示します。

福澤はこのパーティーにもともと欠席する予定で、伊藤の挨拶の次に祝辞が代読される予定でしたが、それも拒否して、祝辞を新聞に載せて代わりとしました。福澤は、一連の経緯で間に立った人物(富田鉄之助という、親しい人物ですが)に、事情をしたためる際、頑固者というそしりを免れないであろうが、これは自分のためではなく、学問の世界のためにやっていることである、と書いています。

この徹底した態度は、大人げないとか、パフォーマンスだとか、言うことは簡単ですが、彼の言行一致の典型例の一つといえるでしょう。「独立の手本」を見せるという、福澤の気合いが、十分伝わる話ではないでしょうか。

2008/12/15 20:34:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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