慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
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20世紀の歴史を写す大阪の福澤誕生地碑

1 昨日少しご紹介した大阪の福澤諭吉誕生地碑。この記念碑は少し変わった形をしていますが、なぜこのようなウルトラの母の頭のような形をしているか、おわかりになりますか。

ここに碑を作ろうという話は福澤が亡くなった直後からありました。しかし、このBLOGで何度も記したように、福澤は自分が偶像視されるのを嫌ったので、その気持ちに反するのではないかという声もあって、なかなか話がまとまりませんでした。

時が流れ、福澤がここで生まれたという歴史が風化してしまうことを恐れた人々が、ついに話をまとめて建碑が決まったのは大正7年(1918)。

      

しかし、またしても建碑は延び延びになってしまいます。ついに碑が建ったのは、昭和4年(1929)のこと。出来た碑は「福澤先生誕生地」と犬養毅の字で記された金属製の碑でした。ところが、この碑は戦時中の金属供出で失われてしまいます。

2_2 戦後、台座だけが空しく残されていることを嘆いた大阪の慶應義塾出身者、大阪慶應倶楽部が中心となって再建の議をまとめ、昭和29年(1954)にようやく建てられたのが現在の「福澤諭吉誕生地」の石碑です。

さて、ではなぜウルトラの母か。正解は、碑の後ろに回り込むとわかります。実はこの碑、鳩の形をしているのです。裏にはちゃんと顔があります。金属製の碑が戦争で失われたことを受け、今度は石で碑を作り、そしてそこに平和の象徴、鳩がかたどられた、というわけです。

3 現在の碑の題字は小泉信三筆、碑文は高橋誠一郎の撰文で、西川寧の筆という豪華な顔ぶれ。建碑には大阪大学の協力も大きく、除幕式当日は潮田塾長と共に大阪大学の今村学長が祝辞を読んでいます。

碑の裏側の鳩の顔から、前に戻ってみると…、おや、わずかの段差に小銭が積まれています。やはり一万円札の顔。あやかりたいという訳でしょうか…(笑)。

福澤がこの場所で生まれたその日、父百助が手に入れた本、それが『上諭条例』というタイトルで、そこから一字を取って「諭吉」と名前が付けられました。展覧会には、その『上諭条例』の実物が展示されています。今回、この本が大阪にも運ばれますが、もしかしたら(確認したわけではありませんが)170年ぶりの大阪行きかもしれません。

  

※「未来をひらく福澤諭吉展」の大阪巡回は、本年8月4日(火)~9月6日(日)。会場は大阪市立美術館です。

2009/01/18 23:16:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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