慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

« スポ根と「陸の王者」 |メイン| 会場準備終了 »

福澤が嫌った灯台の「再発見」

Img_2219 今日午後、会場に灯台のミニチュアが届きました。これは福澤の還暦祝いに、関係者がお金を出し合って作った置物です。先日ご紹介した福澤の座像と同じく、彫刻家の大熊氏広が原案を作成したもので、加えて鈴木長吉という鋳金家が鋳造したことがわかる立派な灯台の模型です。完成当時は機械仕掛けでちゃんと光り、発光部分がくるくるとまわったそうです。

この灯台は、近代彫刻を日本に導入した彫刻家の一人である大熊と、いわば前近代的、江戸時代からの伝統的な鋳金職人である鈴木の合作という意味で大変貴重で珍しいものとして、にわかに注目が集まっています。しかし、今まではほとんど顧みる人もなく、倉庫に押し込まれ、朽ち果てるに任されていました。それには、理由があります。

Img_2226 福澤はこの灯台が嫌いでした。大嫌いで、一瞥をくれて二度と見たがらず、目に入るたびに不愉快な顔をしたほど嫌いでした。座像についてもそうであったように、福澤は自分が偶像視され、あがめ奉られるのを嫌いました。自分が権威になってしまったら、「独立」が重要であると主張し、独立して生きるにはどうすべきかの手本を示してきたつもりの今までの生涯が、台無しになってしまうからです。ところが、これは、進むべき道を指し示す灯台に福澤をなぞらえた置物でした。

つまり、福澤が指さすところについていけばいい、というメッセージになってしまいます。これは、「独立自尊」とは相容れません。このことに福澤は我慢が出来ないのです。しかし、好意で贈られた大きな灯台を前に家族も困ってしまいます。そこで、あまり使わない座敷に置いて覆いをかけてあったという話もありますし、座像を人目にさらすよりはましだといって、福澤が講堂に置かれていた座像を引き取る代わりにこの灯台を置かせたと回想している人もいます。とにかく随分乱暴な扱いを受けたことは確かです。仕舞いには座像と同じように蔵に放り込まれる運命をたどりました。

ある福澤門下生は、福澤の妻が灯台の始末に困り「泥棒でも入って持っていってくれたらほんとに助かりますが」とぼやいていたが、「自分で盗賊を試み、ご夫妻のお気持ちを朗らかにしてあげる智慧と度胸を持ち合わせなかった」と回想しています(『三田評論』567号)。福澤の徹底ぶりは面白いですが、せっかくお金を出し合った門下生が困ったであろうことは想像に難くありません。

そういうわけで、捨てられないけれども、誰も大事にせずに保管だけされていたこの置物でしたが、今回の展覧会の準備で「再発見」され、図らずも日の目を浴びることになったのです。失われていた部品も復元され、往事(といってもどの程度の期間、原形をとどめていたのでしょうか…笑)の姿を取り戻しました。

福澤が嫌うのも十分理由のあることですから、他に多くの補修すべき史料が存在する中で、この灯台がにわかに注目され、きれいになって、デンと展覧会に鎮座ましますのには、ちょっと複雑な心境、というのが、研究する立場からの正直な感想です。しかし、非常に手の込んだ素晴らしい出来の置物であることは確かです。

どうぞ、会場にお越しの際は、福澤が嫌いであったことを心におきつつ、しかし美術品としては興味深いものである、という眼差しをお送り下さればと思います。

写真は、会場に到着し復元部品を組み立て中の様子と、それを遠巻きに眺め複雑な心境の福澤研究センターの人々。

2009/01/07 23:56:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

最近のエントリー(記事)

ページの先頭へ