慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
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スポ根と「陸の王者」

Miyake 箱根駅伝の第5区、柏原君の走りは凄かったですね。個人的には、早稲田の第4区を走ったルーキーの1人「早稲田の三田(みた)」という響きに、敏感に反応してしまいました。

ものの本を繙くと、慶應義塾大学も昭和7年(1932)に、箱根駅伝総合優勝を飾っているとのこと。最近の慶應義塾スポーツ事情について語りはじめると、多分終わらないと思いますのでやめるとして、ここでは展覧会で取り上げるスポーツの話題を少々。

  

  

  

慶應対早稲田の対抗戦、世に言う早慶戦に関する展示も設けています。早慶戦の開始は明治36年、福澤の歿後2年目のことでした。そのきっかけは早稲田大学野球部から慶應義塾野球部に送られた挑戦状。その原本が展示されます(ちなみにその挑戦状に対する慶應からの返事は、東京ドームにある野球体育博物館に展示されています)。

この挑戦以後、慶應と早稲田は良きライバルとして、あらゆるスポーツで対抗戦を繰り広げますが、あまりに野球早慶戦の応援が加熱しすぎたため、開始からわずか3年で中止にいたり、以後20年にわたって両校のスポーツ交流は一切絶えてしまったことは、意外に知られていません。

ようやく復活したのは大正14年(1925)。それからというもの、野球の早慶戦は、世の中を二分する一大イベントとなりました。この頃の早慶戦人気を示す資料として、のちの巨人の名監督・水原茂が、慶應野球部時代に着ていたユニフォームを展示します。早慶戦の異常な興奮を示す事件として有名な「リンゴ事件」が起こったとき、水原はこのユニフォームを身につけていました。日本の野球界の最高水準であった早慶戦の選手にふさわしく、最高級の生地で、肩にあしらわれた慶應のペンマークと王冠の刺繍は、手が込んでいます。

水原のユニフォームと交替で展示されるのが、慶應義塾出身で巨人の初代監督を務めた三宅大輔のバットとグラブです。慶應普通部時代から使っていたこれらの用具は、アメリカ・スポルディング社製。購入は明治末年ですから超高級品と思われます。当時、早慶は、アメリカの最新野球事情を盛んに学ぼうと競っていた時代でした。三宅のバットは、当時の最新モデルの「マッシュルームバット」で、ホームラン狙いではなく、どちらかといえば当てて打つ戦略的なバット。このバットには、のちに早稲田の「野球道」的なスタイルと対比される、慶應流の戦略的な野球の萌芽が見える、といっても過言ではないでしょう。今ではスポーツの世界の状況はすっかり変わってしまっていますが、歴史的に見て、スポ根的でない道を歩むことを選択した「陸の王者」の歴史を振り返っていただける3点かと思います。

写真は、野球体育博物館内の野球殿堂に飾られた三宅大輔のレリーフ。水原も殿堂入りしています。三宅・水原の資料は野球体育博物館からお借りして展示いたします。

2009/01/06 22:31:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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