慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

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偽悪者としての福澤諭吉

8b5c1014fs 福澤は偽悪的なところがあった、とよく言われます。わざと悪ぶる、つまりちょいワルというヤツでしょうか(違います)。

わざと極端なことをいって、世論を喚起し、バランスを取ろうとすることがしばしばありました。「言い過ぎても言い足りないことはない」と小泉信三が評した、その語り口は、たとえば、実業奨励でも発揮されます。

江戸時代、武士にとって金勘定は卑しいものとされ、明治に入っても、なかなかビジネスということが定着しません。元武士たちは生きていくすべを身につけずに「食わねど高楊枝」というような中で、福澤は、経済を振興して民が力を付けてこそ、文明国に相応しい日本となるのだと説きました。

 

その頃、福澤の新聞『時事新報』の記者であった高橋義雄(箒庵)は、その福澤の考えを盛り上げようと本を書きます。タイトルは『拝金宗』。この言葉は、高橋がAlmighty Dollarという語から思い付いて使った造語でした。世を覚醒するために、激しい言葉を使うという福澤のスタイルをまねたわけで、序文に「時弊を矯める」ための本で、長期的な視野で語っているものではない、ということが書かれていますが、タイトルからして非常にラディカルであったため、「拝金宗」という語は、福澤を批判するための代表的な言葉の一つとなりました。

この本の続編の表紙というのが、これまた何とも過激です。ご覧のように画面の右下に、はりつけにされたキリストと、後ろ手に縛られた孔子と釈迦が描かれています。山高帽をかぶった紳士や着飾った淑女は、彼らに目もくれず(中にはアカンベーをしている者もいる)、後光の差す大黒様に殺到している、という絵です。今なら社会問題になるかもしれません(笑)。高橋によれば、この絵は河鍋暁斎筆とのこと。小さな本ですが、会場の第4部に展示してありますのでぜひご覧下さい。ちなみに隣に並べてある「初編」の方は、やはり大黒様の絵ですが、穏当なものです。

福澤はこの「拝金宗」のような議論を様々な分野で行い、世論の喚起を目指しました。そのため、文章だけを読むと、とんでもない議論をする男に見えます。「新聞」は、普遍的なことを説いて誇る場ではないとクールに割り切っていた福澤は、その時その時のための、使い捨ての道具のように捉えて使っていました。ですから、新聞での福澤の発言は、世間でどのような常識がまかり通っていたときに、どのような意図で書かれた発言なのかを、注意深く読み解く姿勢がなければ、表面の激しい言葉に翻弄されて、大言壮語が盛りだくさんの、ただの変節者の発言になってしまいます。ちょいワルどころか、極悪非道の冷血漢として福澤を描くのは簡単なのです。ああでもない、こうでもないと、福澤の評価が必ずしも定まらないのも、そのような原因があります。

2009/01/23 15:11:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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