慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

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福沢か?福澤か?

Img_20841_2 ときどき「福澤諭吉」と「福沢諭吉」のどちらが正しいのですか、とおっしゃる方がいらっしゃいます。これは非常に現代的な疑問のようです。明治時代の人は、自分の名前の表記を含め、漢字についてかなりアバウトであったといえます。たとえば、二郎と次郎、○蔵と○造、嶋と島など、違う字(字体)を書くと、現代では完全に違う名前のように思いますが、この程度の表記の違いは平気で、自分で違う字を書いてしまうようなことはよくあったようです。

フクザワの場合も、実は本人が「福澤」とも「福沢」とも書いています。画像をご覧下さい。これは明治十四年の政変に関連して展示している福澤書簡ですが、黒いブチの3行前に「三参議ハ決シテ福澤ヲ売ラズ福沢」と読めるのがご覧になれますか。

「沢」はもともと「澤」の字を崩していって、右側の崩しが「尺」と似ているために生まれた俗字のようですので、これは崩し方の程度の違い、ともいえます。戦前は、活字に「澤」という字の形しかなかったわけですから、原稿用紙に「沢」と書けば、活字を組む人が勝手に「澤」に直してくれたわけですし、一般には「沢」という形で十分通じたので、本人の普段使いでは「わかればいい」ということだったのでしょう。会場をよくご覧頂くと、ほかにもいくつか「福沢」という字の形を見ることが出来ます。日清戦争の「醵金」領収書なども、他筆ですがペン書きではっきり「福沢」と書かれています。

Img_2242 福澤は人の名前に対しても、「わかればいい」という主義で、それも行き過ぎではないかと思うことがよくあります。これも展示物のひとつ、石河幹明という人に宛てた書簡がありますが、封筒は「石河様」なのに、本文には「石川様」と書いてあります。書き起こし文に「石川」とあるのを、間違いではないかとご指摘下さった方もあったそうですが、これはそういう事情なのです。

この展覧会には、木戸孝允の日記も出ていますが、この日記のどこかには「森有礼」(もり・ありのり)を「森無礼」と書いた箇所があると聞いたことがあります。人に見せないことを前提とした日記なので出来ることでしょうが、さすがの福澤も、これほどの無礼はしていません。

なお、今回の展覧会では「福澤」で統一することになったので、すべて「澤」を使っています。余談ながら、私の母方は和歌山の鯨捕りで、姓を「セコ」といいます。コは普通の「古」ですが、セは「脊」という字の左上をヌのようにする字で、もちろんこんな活字はありません。祖父も、普段は「背」と書いたり「脊」と書いたり、本当の字を書いたり、実に適当でした。

ワープロが普及して、世の中には(ア)簡単にワープロで打てる字と、(イ)少し努力すれば画面に出てくる字と、(ウ)いくら努力しても出てこない字が生まれました。自分の名前の漢字が、この3種類のどこに含まれるかによって、漢字に対する感性が異なり、人生観まで違っているような気がします。これに(Ⅰ)誰でも読める名前、(Ⅱ)読み方が難しい名前、(Ⅲ)教えない限り誰も読めない名前、という分類を掛け合わせて分析すると、何か人類に関する新理論が生まれるような気がします(笑)。

随分話が飛躍しました。そういうわけで、「福澤」と書いても「福沢」と書いても、本人は一向に気分を害しないと思います。

2009/02/05 20:55:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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