慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

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妙心寺展と福澤諭吉展(2)

Kimokkyun 福澤展には禅と関係のある資料が出ています。朝鮮の政客、金玉均(キム・オクキュン)が福澤に贈った書です。

金玉均は、朝鮮の近代化を志した運動家の一人です。彼は1884年に起こしたクーデター・甲申事変に失敗して日本に亡命し、以後日本で流転の日々を過ごしましたが、終始福澤の援助を受けていました。福澤は甲申事変後、朝鮮の近代化を諦めて金玉均らを見放したという理解が一部にはあるようですが、それは誤りで、金玉均が1894年に上海で暗殺されるまで庇護し、殺害されると盛大な法要を営んで、位牌を作らせて自宅で法事まで営んでいました。

日清戦争中に門下生を朝鮮に派遣して、金玉均の遺族を捜し出し、今後の生活の面倒を見ることまで申し出ています(遺族は遠慮して実現しませんでしたが、この時位牌を届けています)。

さて、金玉均は日本亡命中、禅に凝っていました。福澤に贈った書でも禅の言葉を冒頭に記しています。「万般施設不如常、又不驚人又久長、如常恰似秋風至、無意涼人々自涼」。福澤を励ますためにこの語を贈るとして、これに続けて福澤を称える文章を記しています(写真、展示中)。金玉均は書家としても聞こえた人物で、福澤のシロウト書道よりもよほど貫禄のある立派な字です。

これに対して福澤は、金玉均のいう禅の心は私にはわからないが、自分なりの安心法を書き送るとして「所思不可言/所言不可為/人間安心法/唯在無所思」(思う所言うべからず、言う所為すべからず、人間安心の法は、唯だ思う所無きに在り)と書いて答えています(こちらは展示していませんが)。

福澤は仏教的なボキャブラリーをよく使う人で、「安心立命」「衆生済度」というような言葉をしばしば文中に用いています。晩年の福澤は、非常に枯れた境地に達して、それに禅なるものを見出す人もいます。『福翁百話』という晩年の本は、その境涯を最もよく記したもので、福澤の世界観、宇宙観にまで話が到達します。

よく引用されるのは、人生を蛆虫(うじむし)にたとえた部分です。「人生は蛆虫に等しく、ただこれ一時の戯れ」と、達観のようなことが記されています。しかし続けて、「人生本来、戯と知りながら、この一場の戯を戯とせずしてあたかも真面目に勤め」る、すなわち、蛆虫であるならば蛆虫として割り切ることによって、人間としての本当の力を最大限尽くすことが出来るというのが、福澤が到達した最終的な人生観でした(『福翁百話』第7)。

「事物を軽く視て始めて活溌なるを得べし」(『福翁百話』第13)という言葉や「戯れ去り戯れ来たる、自ずから真有り」といった福澤の言葉は、生涯一貫した、カラリとした性格、平たく言えばプラス思考で、常に現実を見据えて道を切り開こうという姿勢を端的に表しているように思います。それは、純粋さを求める立場からはたぶん邪道なのです。しかし、今ある世の中を少しでも良くしていこうという姿勢は、福澤の生涯において揺るがない部分でした。

その福澤が、最晩年に到達した問題のひとつが宗教でした。福澤の歴史展示の末尾に、『福翁自伝』の次の一節を紹介しています。

私の生涯のうちに出来(でか)して見たいと思うところは、全国男女の気品を次第次第に高尚に導いて、真実文明の名に愧(はず)かしくないようにすることと、仏法にても耶蘇(やそ)教にても、いずれにても宜しい、これを引き立てて、多数の民心を和らげるようにすることと、大いに金を投じて、有形無形、高尚なる学理を研究させるようにすることと、およそこの三か条です。

人々の心を平穏にすることが、これからの世の中に必要なことの1つといったとき、福澤の心に去来したことは何だったのでしょうか。ここに挙げられた3つは、今なお重要な現代に通ずる問いかけであると思えてなりません。そこで、本展第6部の末尾ではこの3つの問いかけにちなんだ映像展示を行っています。

2009/02/19 22:50:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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