慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

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残り一週間となりました!

「福澤諭吉展」会期が残り一週間となりました。これまでに実に多くの方に足を運んで頂き、有り難うございました。慶應義塾の関係者も、そうでない方にも、それぞれに何かを考えるきっかけとなってくれていればと思っております。

ところで、慶應義塾の小中高校などではクラス単位・学年単位での観覧がありましたが、慶應義塾の教職員や学生に組織的な動員ということはなされておりません。ぜひ来て欲しいとは思いつつも、強制的な動員は、この展覧会の展示内容と合致しないからです。平たくいえば「独立自尊」ということでしょうか。

映画「踊る大捜査線」ではありませんが、一人一人の判断にゆだね、「自分の判断で来る」というのが、理想論ですが本来の姿であると思っています。しかし、教職員の方でも、まだお運び頂いていない方は少なくないようデス。福澤諭吉や慶應義塾の歴史などに批判的な方でも、批判的な目をより研ぎ澄ますつもりで足を運んで下さればと思います。いま現に所属している学校に、福澤という一人の人物を起源とした思想や文化が、様々に息づいているのは儼然たる事実です。一方で福澤は神ではなく、いうまでもなく、限界も多くあります。「いつまでも福澤ではない」「福澤を超えて」などということは簡単ですが、ではそのために福澤に是非触れてみて下さい、というのが一実行委員としての願いです。

Photo_12 最近頂いたご意見の中に、慶應義塾のキャンパスには胸像の類が少なすぎ、大学らしい雰囲気がない、というご指摘がありました。戦前には全くなかったわけではなく、戦争で内部を焼失した図書館の玄関ホールに、福澤の右腕といわれた小幡篤次郎、長年塾長を務めた鎌田栄吉、福澤門下生の長老門野幾之進などの胸像が飾られていました(写真、左奥は「手古奈」像)。

しかし、少ないことは確かに事実です。現在思い付くものでは、福澤以外で、三田の小山内薫像、矢上の藤原銀次郎像、日吉の平沼亮三像、藤山雷太像、信濃町の北里柴三郎像、志木の松永安左エ門像くらいでしょうか。顔ぶれを並べてみて、まるで脈絡がありません。驚くことに、この中には塾長だった人が一人も含まれていません。

福澤諭吉の胸像にしても、慶應義塾の中に初めて設置されたのは昭和29年(1954)のことでした。福澤を直接知る人がいなくなる前に面影を残しておきたいという人々が募金しあって遺族の証言を参考に作ったものでしたが、福澤が元来胸像のような厳めしいもの、偉そうな権威的なるものを好まなかったことを知る門下生などからは、反対の声が上がったほどです。だから、慶應義塾には胸像が少ないのです。同様に、肖像画も慶應義塾にはかなり少ないのではないでしょうか。戦前にあった数少ない肖像画のひとつが着流しの福澤像であることも意味深です。

このキャンパスの雰囲気は、まさに福澤の作った学校であるためのものなのです。このことに、私は展覧会開催後に気づきました。慶應義塾の中にいらっしゃる方には、現在に通じる福澤の影響を発見して頂いて、「いまさらそんな時代ではない」と思えば改め、「なるほど現代にも通じる」と思えば意を強くする、そのような確認の場であってくれればとも思っています。

残り一週間。次の機会は、おそらく25年後の慶應義塾創立175年(2033年)です。その時までお元気である自信のない方は特に(!)、お見逃しなく!!

2009/03/02 20:06:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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