慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

« 福岡だけの特別出品情報 |メイン| 幻のユニコン展示計画と『学問のすゝめ』 »

福澤諭吉と大隈重信の友情

東京では、早稲田大学の創立者大隈重信と福澤の関係を示す資料をあまり展示することが出来ませんでした。福岡では、大隈の出身地佐賀が近いこともありますので、二人の友情を示す資料を追加展示します。
Photo 大隈と福澤がはじめて会ったのは、明治の初めだったらしいのですが、よくわかっていません。大隈によれば、会うまでは小生意気なヤツだと思っていたらしいですが、会ってたちまち意気投合し、以後終生友情をあたためました。

福澤が亡くなったとき、写真のような掲示がなされました。花や香典は一切辞退、というもので、一太郎と捨次郎の名前で出されています。よくこんなものが残っていたと思うのですが、たぶんこれは下書きで、大書したものが出されたのでしょう。

それはともかく、辞退するといっても「どうしても」、といっていろいろなものが届けられました。ほとんどはそれでも断られたようですが、それでも、というものは断り切れずに受け取られました。その一つに大隈重信からの生花がありました。

はじめ受付係が他の人と同じようにお断りを伝えたところ、大隈家の使者は「それは十分承知しているが、これは大隈が福澤の訃報に、みずから手塩にかけて育てた温室の花を、涙ながらに切って作った花束である、これも返すとはあんまりではないか」と言い、それを聞いた受付は、返すわけにはいかないと受け取ったそうです。この花は、福澤の葬儀に他から供えられた唯一の花だったと伝えられています。

そのことを示す写真などは何も残っていません。しかし、わずかにそのことを当日記録に留めていた資料がありました。今回はそれを展示いたします。

2 さて、話のついでにもう一つ写真を載せましょう。これは、葬儀の時、慶應義塾の学生に向けてなされた掲示です。福澤の女房役といわれた小幡篤次郎と、当時の塾長鎌田栄吉の連名です。文面は前のものとほとんど同じです。なぜこれをご紹介するかと言えば、このとき慶應義塾の学生から、学生代表30人に福澤の棺を担がせて欲しいと申し出がありました。葬儀委員は、この熱情に打たれましたが、かなり長い距離であり不慣れな学生たちが担いで万一のことがあっては、と断るしかありませんでした。すると学生は、棺と同じ大きさ・重さの模型を作って練習し、万全を期すから是非とも、と迫りました。

そこで学生の前に立ったのは、福澤に最も信頼された門下生の一人・日原昌造でした。彼は「君たちに担ってもらわなければならない棺より重いものがある、それは慶應義塾である」と演説し、学生たちは納得したといいます。どちらも、小説だとしたらうさんくさく聞こえますが、事実ですから、気持ちの良い話ですね。

さて、大隈のお花を今日に伝える、唯一の資料は何でしょう…?会場でお確かめ下さい。

2009/04/07 19:36:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

最近のエントリー(記事)

ページの先頭へ