慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

« 福澤諭吉、大坂の思い出(1)  気になる場所 道修町(どしょうまち) |メイン| 福澤諭吉、大坂の思い出(3) 願掛けを開封した葭屋橋(よしやばし) »

福澤諭吉、大坂の思い出(2) 皿を投げ、牛を食べた難波橋(なにわばし)

0908081 『福翁自伝』の数ある適塾生の悪い話の中でも、妙に印象に残るのが、難波橋から小皿を投げるという話です。

ある夏の日、夜10時頃になって酒が飲みたくなった福澤たちは、安酒を飲みに出かけます。夜12時も過ぎた頃にひとしきり飲んで帰りはじめ、難波橋の上に来たら、「下流の方で茶船に乗ってジャラジャラ三味線を鳴らして騒いでいる奴」がいました。「あんなことをしていやがる。こっちは百五十かそこらの金を見付け出して、ようやく一盃飲んで帰るところだ。いまいましい奴らだ。あんな奴があるから、コチトラが貧乏するのだ」と言って、福澤が懐に持っていた小皿を何枚か船に向かって投げたら、最後の1枚を投げたときに、三味線の音がプッツリ止んでしまいました。その時はよくわかりませんでしたが、ひとつきほどしてから、知人がたまたま芸者から聞いた話として、小皿がその芸者の三味線をぶち抜いたことがわかったそうです。

0908082 なぜ福澤が懐に小皿を持っていたかというと、適塾生たちは、飲みに行くとすぐにお皿やおちょこを盗むという、とんでもない習慣があったからでした。しかもそれらを理科の実験などに使っていたようです。この福澤の万引き癖は、実はしばらく治らなかったようで、咸臨丸でアメリカに行くとき、出発直前に立ち寄った浦賀で、酒を飲みに入った店で茶碗を失敬して、その後重宝することになった話が、後の方にでてきます。

0908083 難波橋はほかにも自伝に登場します。適塾生が常連の牛鍋屋があった場所としてです。福澤によれば、ホリモノだらけのゴロツキと適塾生だけが定客の牛鍋屋で、殺した牛か病死した牛かもわからない怪しげな硬くて臭い肉を食べていたようです。ある時には、その店の臆病な主人に頼まれて適塾生が豚を殺したという話も自伝に登場します。

現在は中之島が少しのびて、難波橋も二つの川をまたぐようになっていますが、当時は島がもう少し短かったようで、「山崎の鼻」と呼ばれた中之島の先っちょ、公会堂の辺りには、適塾生のライバル華岡塾(合水堂)がありました。

橋のすぐ近所には現在大阪証券取引所があり、その前には五代友厚像が立っています。五代は「明治14年の政変」をめぐって、福澤とはちょっと因縁のある人物。大阪の町歩きもナカナカ楽しいものです。

2009/08/08 21:58:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

最近のエントリー(記事)

ページの先頭へ