慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
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福澤誕生地の「福澤先生」と「福澤諭吉」

0908141 大阪堂島の朝日放送本社ビルは、福澤が生まれた中津藩蔵屋敷の跡地です。この地の堂島川に面した長屋で生まれたといわれています。

  

いまその場所には何ら面影はありませんが、福澤生誕地であることを示す記念碑があります。この記念碑には変遷があり、昭和4年に最初に建てられたのは、ご覧のように金属製で、犬養毅の字で「福澤先生誕生地」と書かれていました。実は明治末より何度も誕生地に記念碑を建てる動きがあったのですが、何度も挫折して、ようやく実現したものでした。

  

0908142 ところが、この記念碑も15年ほどで、太平洋戦争に伴う供出の憂き目にあいました(2番目の写真)。念願かなって大阪の人たちの手で再建されたのは昭和29年。新しい碑は石造で表面に「福澤諭吉誕生地」と小泉信三の字で書かれています。前にも書きましたが、この碑の形はハトをかたどっています。

  

  

  

0908143 さて、ここまでご覧になって、何かお気づきになった方は注意深い方です。古い記念碑と新しい記念碑では微妙に、しかし大きな違いがあります。それは「福澤先生」と書くか「福澤諭吉」と書くかという違いです。

  

建立当初はまだ多くいた、福澤と同時代を生きた人にとって、慶應義塾出身でなくても「福澤先生」と呼ぶのは自然なことだったのかも知れません。その後、福澤を直接知る者も少なくなり、もっぱら「福澤先生」という言葉が慶應義塾の中の言葉になってしまったことに気付いた小泉信三は、「福澤諭吉誕生地」という言葉を選んだのでした。

  

以前、慶應義塾出身者にとって福澤先生と福澤諭吉という言葉の使い分けは大きな問題であることを小泉信三が記した文章をご紹介しましたが、その問題の実践がこの碑には表れているというわけです。

ついでながら、昨年5月に慶應義塾大学で開催された「小泉信三展」の図録が、このたび加筆修正を経て、「アルバム小泉信三」のタイトルで刊行されました。今回はさらに「スポーツが与える三つの宝」など2つのスピーチのCD付録付き!ご関心のある方は、ぜひご覧頂ければ幸いです

  

<関連情報>

福澤諭吉 誕生地 (中津藩蔵屋敷の跡) @大阪展 関連情報

2009/08/14 22:21:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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