慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
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慶應義塾の戦争遺跡 日吉台地下壕

0908151 慶應義塾の歴史に、戦争は深い傷跡を残しました。多くの学生たちが再び学舎に戻って来ることができず、三田、四谷(信濃町)、そして日吉の3つのキャンパスは、多くの建物を空襲で失うこととなりました。慶應義塾は日本最大の罹災大学といわれています。

こんにち、日常のキャンパス生活を送っていると、目に見える形で戦争の歴史を語るものは何も残されていないといっても過言ではありませんが、日吉キャンパスの地下には、今なお戦争の記憶を伝える巨大な遺跡が残されています。それが「日吉台地下壕」です。

この地下壕は、戦争末期、日吉キャンパスの一部が海軍に貸与された際、構築されたもので、軍令部(第三部)、連合艦隊司令部、東京通信隊、航空本部、海軍省人事局などが使用していました。なかでも連合艦隊司令部の地下壕は、戦争指導の重要な現場となった場所で、内装などは失われていますが、壕自体はほぼ当時のまま残されています。

0908152 また、昨年には軍令部第三部が使用していた地下壕の入口が体育館工事に伴って数十年ぶりに発見されました。入口付近の発掘調査が行われ、入口の構造が初めて明らかとなり、新聞などでも取り上げられたことをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

「福澤諭吉と神奈川」展では、福澤が残した慶應義塾と神奈川の関係を紹介するコーナーを設け、その中でこの地下壕に関する展示も行う予定です。写真は今年行われた軍令部第三部地下壕の内部調査の際の写真と発掘現場一般公開の様子です。

ちなみに日吉のご近所の方や、慶應出身の方などで、むかし地下壕の中を探検した時に撮った写真や拾ったものなどをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示頂ければ幸いです。

2009/08/15 22:03:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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