慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

福澤研究センター 都倉武之が語る
福澤展のツボ

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展示品たちのその後(2) 10か月ぶりの里帰り

0909291 方々から借りてきた資料・作品を、それぞれの所蔵館にご返却させて頂きつつ、一方でキャンパスにあった品は、元の場所に戻っていきます。

福澤が、人に見られたくないと言ってしまい込んでしまった座像。この1年は、この像が今までで最も多く人目に触れ、福澤自身が知れば、ゾッとする期間だったことでしょう。彼も、もともと設置されていた慶應義塾志木高校の台座へと戻っていきました。これから当分は、余り自分に感心を寄せない年頃の高校生たちに囲まれて、安堵の時間を過ごすことでしょう。

0909292 福澤がアメリカから買ってきた乳母車。アメリカから太平洋を渡って以来の長旅でした。といっても、他の「長旅シロウト」の資料に比べたら先輩分だったといえるかもしれません。乳母車も、慶應義塾図書館旧館の普段は公開していない一室に戻されました。

 

0909293 川村清雄の肖像画。こちらは、VIPをお迎えする際に使われる図書館旧館内の一室に元通り設置。お留守の間にも、いろいろな来客があったかと思いますが、やはりこの部屋は、この絵があって落ち着きます。

 

 

0909294 そして、福澤の演説像。東京では低い視線で人々の前に立ち、福岡、大阪ではやや高い視線になりましたが、もとの見晴らしの良い位置に戻って心中はどんなものでしょう。世俗に分け入り、人々の上下関係を極度に嫌った福澤であれば、案外東京展の地べたに近い高さが気に入っていたかもしれません。

そのほか、細々とした文書類も、福澤研究センターの調査員の皆さんを中心に急ピッチで収納が進められています。長年薄暗いところに押し込められているこの文書たちにすれば、この1年は光を浴び、開放的な空気を存分に楽しんだかもしれません。しかし貴重な資料を後世に伝えていくためには、彼らには再び薄暗いところに収まってもらわなければなりません。ちょっと窮屈かもしれませんが…。

さて、数ある展示物の中でも、最重量のあの作品をご記憶でしょうか。北村四海「手古奈」像です。こちらについても、「その後」をご紹介しておきましょう。

(つづく)

2009/09/29 22:46:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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