慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

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小泉信吉弔詞のナゾ

090911 福澤諭吉が最も愛した門下生の一人で、横浜正金銀行副頭取、慶應義塾長を務めた小泉信吉は明治27年(1894)12月に急逝しました。その時、福澤は弔文の弔詞をしたためています。

0909112_2 この弔詞は小泉家で大切に伝えられ、長男信三(のちに慶應義塾長、東宮(今上天皇)御教育参与を務めたことでも有名)が所有していました。小泉家では信吉の命日に親戚が集い、この書幅を床の間に掲げて、信三が読み上げて、子供たちなどはその文章を通じて亡き祖父の姿に思いを巡らせたそうです。信三は塾長在任中、空襲で家を失った際、顔面に大やけどを負い、戦後はその傷を負った姿となりますが、空襲で火に囲まれてしまい倒れて朦朧とする意識の中で、頭に浮かんできたのは、この書幅を信吉命日に親戚の前で自分が読み上げている光景だった、といいます。幸いこの軸は、小泉家がただ一品疎開させた品となり、焼け残りました。

 

この書幅の中で、信吉は非常に優秀な人物であったと記されていますが、中でも驚くのは、「洋書を読みて五行並び下る」という部分。5行同時に英語が読めたということのようです。 

 

090911_3090911_2  ところで、この書幅、なぜか別にもう一本存在しています。本文は一緒ですが、もう1本の方は1行の文字数が多くて行数が少なく、絹地で同じような筆致、由来は全く不明です。二つの差違としてちょっと面白いのは、いずれも1文字ずつ間違えていること。画像の左は、小泉家に伝えられたもので、日本銀行の「行」が書き足されています。一方、もう一本は午後と書いてそれを午前と訂正しています(右画像)。

モノが目の前にありながら、「どこからきたのか」と尋ねられないというのは、当たり前ですが、ちょっと不思議な気分になります。

 

2009/09/11 22:42:00
未来をひらく福澤諭吉展 2009 東京,福岡,大阪

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