広島会場 2007年9月1日(土) 「家庭教育を考える」

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2007/8/28 | 岩﨑弘氏からのメッセージを掲載しました。

お子さんの家庭教育をどのようにしたら良いのか。昔から、「家庭教育」の重要性については、いわれています。
子どもにとって「習慣は第二の天性となり」「幼少のころに見習い覚えたことは習慣なる」つまり、その人の人間形成の芯ともなる心の成長期であるからだと思います。その時期における家庭の教育の意味は大きいのです。
しかし、最近では、各家庭での教育について、大切であることを知らなかったり、或いは核家族化して家風が薄れていたり、また、子育ては簡単であると思っているのか、常に大人の心の向き次第で、その時の出任せで教育を行ったりしていることが少なくないようです。
明治初期にそのことに気がついた福澤は、「一家は習慣の学校なり、父母は習慣の教師なり」と言って父母の重要性を指摘しています。そして、この「習慣の学校は教授の学校よりもさらに有力なるものがある」と言う意味のことを言っているのです。
なぜ家庭教育がそんなに有力なのでしょうか?それは家庭教育における父母の子どもへの影響です。
大切なのは、家庭教育の目標と、その内容と方法だと思います。内容は、元々各家庭でそれぞれ考えるべきものですが、福澤の実践した家庭教育の内容もお話します。
方法で真髄だと思うことは、「徳教は目より入りて耳より入らず」というのがあります。子どもに教えることは良い手本を見せて行うことが効果的だということです。
また家庭教育が小さい頃の子どものことだけに限定せず、学校教育とも社会教育とも平行して行うと言うことだと思います。子どもが独立するまで、家庭教育があるということです。

福澤の実践した家庭教育とはどのようなものであったのか、「ひびのおしえ」や「童蒙おしえ草」或いは、「福澤諭吉子女之伝」や「お子さんたちの書かれた本の中の思いでの文章」から、お子さんたちに伝えたこと、また、実際に過ごした家庭での様子を交えてお話します。
そして、福澤の家庭教育は、現在の教育に是非見直してその重要性を考えてみたいと思うのです。
「一口に教育と呼んでも、その領分は広きものにて、読み書きを教えるだけで教育とは申しがたし、読み書きは唯教育の一部分のみ」と、明治9年に発表した論説「家庭習慣の教えを論ず」の中で述べている。
「読み書き」とは、知識の習得のことを言っている。知識の習得も大切ですが、しかし、教育とは、人々が生まれつき持っている能力を発達して人間社会の仕事を成し遂げる力を強くすること、家庭教育、学校教育、社会教育を受けながら、自分の中にあって埋もれている種が早晩萌芽する天性の能力を人間性や個性を見出していくことであると思う。
それには、良い家庭での習慣や教育と言うものが、柱になって育つことが大切である。
知識獲得の傾向に重きを置きすぎる家庭が増えているように思う昨今、その一方であまりに知識に偏りすぎて、父母の家庭での人間教育の大切さや、社会の教育の大切さが見落とされてはならないと思う。

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