2007/10/9 | 講演会の模様が、中国新聞に掲載されました。
家庭教育の役割 見直そう
(※この記事は、9月27日付け中国新聞朝刊に掲載されたものです。)
教育改革の議論が盛んになる中で、家庭教育をテーマとする慶應義塾創立150年記念講演会「学問のすゝめ21」(主催:慶應義塾・中国新聞社)が1日、広島市中区の広島国際会議場で開催されました。
約900人の市民を前に、慶應義塾大学名誉教授の村井実さん、同大学文学部教授の渡辺秀樹さん、同幼稚舎教諭の岩﨑弘さんが講演し、千葉商科大学教授の宮崎緑さんをコーディネーターに加えパネルディスカッションを展開。家庭教育の役割や、子どもの可能性を伸ばすにはどんな教育が大切なのかを話し合いました。
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■講演 「よく生きようとする人間」
子どもの資質を大切に
慶應義塾大学 名誉教授 村井 実さん
明治以来、日本の教育では学校教育が偏重され、子どもたちが学校で「よい成績」を取り、もっぱら「よい子」と見られて上級校へ進学することにとらわれてきました。しかし、教育のほんとうの目的は、むしろ、豊かな人格や思考力、行動力を養っていく点にあります。
明治維新以来、日本の教育はこの点での教育の大失敗に陥りました。それがけっきょく、国家と国民をあの大東亜戦争という悲劇に引きずり込む成り行きを生んだと見られます。
ですから、これからの日本で親や教師が何よりも心に留めなければならないのは、子どもたちがみな、どういう子も、「よく生きようとする働き」を備えている、ということです。そしてその働きを一人ひとりについて育てるということです。
「よく生きようとする働き」ということに、福澤先生は当時いち早く注目されて、先生独特の言い方で、「金玉(きんぎょく)の身」と呼ばれました。国民ひとりひとりが「金玉の身」であることを自覚して、人間として育たなければ、日本は国家としてのほんとうの独立はできないと警告しておいでになったのです。
これからの日本でも、子どもたち一人ひとりに備わる、こうした素晴らしい「金玉」の資質を傷つけることなく、いかにして大きく伸ばしていくかが大切です。
それを教育の基本と考えるなら、家庭が子どもの教育に果たす役割がいかに大きいかも、よく分かるのではないでしょうか。家庭は、子どもを人間として豊かに育てるための苗床です。
今後の日本で、本日の集まりのテーマである「家庭の教育」が、子どもたちの健やかな成長を培っていける頼もしい「苗床」となっていくことを願ってやみません。
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むらい・みのる 1922年佐賀県生まれ。広島高等師範学校を経て広島文理科大(教育学専攻)卒業後、慶應義塾大などで教育学を講じる。教育哲学会会長、日独教育協会会長、日本通信教育学会会長、日本学術会議(第15期)会員などを歴任
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■講演 「家族の文化を創る」
経験共有がきずな生む
慶應義塾大学 文学部教授 渡辺 秀樹さん
私が研究する家族社会学では、父親が家庭に滞在する時間の少なさが課題の一つにあげられています。実際に、アジアや欧米の6カ国で行った調査でも、12歳以下の子どもと接する時間が特に短かったのは、日本と韓国の父親でした。家族のだんらんが子どもの成長に与える影響は少なくありません。限られた時間を上手に生かし、父親がどう家族にかかわっていくかが問われています。
ただ、親子のふれあいが大事だといっても、無理をして旅行やレジャーなどに出かける必要はありません。戦時中に慶應義塾大学の塾長を務めた小泉信三が、戦死した息子の信吉をしのんで出版した『海軍主計大尉小泉信吉』には、毎日を忙しく働く合間に、親子でちょっとした遊びや冗談を楽しむことで、病弱だった信吉がおおらかに成長していく様子が描かれています。
日常のさり気ないやり取りを大切にすることは、家族が何らかの経験を共有することにつながり、その蓄積が家族にしかない「文化」を生み出します。そして子どもたちは、いきいきとした家族の文化を感じて育つことで、自信を持って社会に巣立つ力を身につけていきます。一緒に遊んだり、料理を作ったりするなど、きっかけは何であれ、人生の同伴者として、子どもに接する姿勢が何より重要です。
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わたなべ・ひでき 1948年新潟県生まれ。東京大大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。東京大文学部助手、電気通信大助教授、慶應義塾大文学部助教授を経て、9 5 年から現職。専門は家族社会学、教育社会学。編著に『変容する家族と子ども』(教育出版)など
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■講演 「福澤諭吉の家庭教育」
家庭は習慣を教える学校
慶應義塾 幼稚舎教諭 岩﨑 弘さん
慶應義塾の創始者である福澤諭吉は9人の子を持つ親でもあり、自らの家庭教育にも力を注いだといわれています。まだ幼い子どもたちに対し、福澤がまず重視したのは、人として守るべきルールをきちんと教えることでした。「嘘をつかない」「父母の承諾なしに他人から物をもらわない」「人のうわさをしない」といった7つの規則を設け、その実践を繰り返し説きながら、正しい生き方を身につけさせようと努めました。また自力で服を着替えさせることで自立心を養うなど、日々の生活に即した家庭教育を心がけた点も特徴です。
福澤のこうした取り組みの背景にあるのは、「家庭は習慣の学校である」との考え方です。豊かな人間性を培う上で、学校教育だけでは目が行き届かない部分を家庭で補っていく。子育ての目標として、心身の健康をはじめ、生計の道を自分で立てられる独立心や社会に貢献していく力を育成する必要性なども多くの著作物の中で指摘しています。
人間が幼少時や子ども時代に何を得て、どんな資質を身につけるかは、その後の成長を大きく左右します。学校教育に偏重しがちな現代にあって、福澤が約150年前に提示した家庭教育のあり方をとらえ直し、検討する意義は大きいのではないでしょうか。
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いわさき・ひろし 1944年埼玉県生まれ。明治学院大経済学部卒業。白百合学園小教諭を経て7 4 年から現職。福澤研究センター運営委員も務める。福澤諭吉協会会員。著書に『「童蒙おしえ草・ひびのおしえ」現代語訳 解説』(慶應義塾大出版会)など
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■パネルディスカッション 「家庭教育を考える」
●パネリスト
慶應義塾大学 名誉教授 村井 実さん
慶應義塾大学 文学部教授 渡辺 秀樹さん
慶應義塾 幼稚舎教諭 岩﨑 弘さん
●コーディネーター
千葉商科大学 政策情報学部教授 宮崎 緑さん
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宮崎 現代の家庭教育は、どんな課題を抱えているのでしょうか。
渡辺 家庭では特に父親と子どもが接する機会の少ないことから、親の教育力が低下したといわれています。ですが、父親だけが悪いのでなく、そういう状況をつくり出している社会にも問題があるのではないでしょうか。日本の親は、親になる以前に小さな子どもの面倒をみた経験が、他国の父親に比べ圧倒的に少ないという調査結果もあります。子どもと触れ合う体験がない中で、いきなり親になっても力を十分に発揮できないと思います。
岩﨑 勉強をしたり、仲間と出会ったりする中で、成長を図る学校教育との役割分担が大切です。家庭教育の大きな目的は、人間の芯(しん)になる部分を養うこと。保護者は、まずそこをしっかり意識する必要があります。
村井 学校の成績ばかりに気をとられ、親は子どもを一人の人間としてとらえ、向き合う姿勢を見失っているのではないでしょうか。家庭の中で、子どもたちが自分に自信を持てるような環境をどうつくるか。そこが大事だと考えます。
岩﨑 一緒に生活する中で、昨日より良くなった部分を見つけ、褒めるだけでも、子どもにとっては大きな自信になるはずです。逆にしかられてばかりいると、自分が嫌われていると思ってしまう。包容力を持って接し、良い面は積極的に評価することが望まれます。
渡辺 そのためには、子どもへの関心の持ち方も重要です。日常の何気ない会話やだんらんを通じて、その家族ならではの習慣や生活スタイルが生まれると、家族意識が高まるはずです。
村井 福澤諭吉は家庭で音楽会を開き、客を招くこともあったそうです。家族で何かの行事や催しを開くのも家族意識を高めるきっかけになるかもしれません。
渡辺 さまざまな人が交流するにぎやかな家庭がいいですね。親子という縦の関係だけでなく、おじやおばなど斜めの関係も生かせば、家庭生活も充実するのではないでしょうか。また、友だちの家庭などへ遊びに行って、自分の家族との違いを知るといった経験も、視野を広げる上で貴重です。
家庭は人間教育の苗床 村井さん
地域参加も教育の機会に 渡辺さん
日々のしつけで独立心を 岩﨑さん
家庭教育は子どもの土台 宮崎さん
宮崎 家庭や学校を含め、日本の教育には何が欠けており、今後はどうあるべきでしょうか。
岩﨑 日本の教育は、親から巣立った後、一人前の社会人としての自立心や独立心を養成できていない点が問題ではないでしょうか。過保護になると、子どもの依存心を強めてしまいます。日々のしつけに当たっては、どんなことを教えるのか、また何のためにそれを教えるのかを親が明確にすべきです。
渡辺 子どもと程よい距離を保ちながら、少し離れたところからしっかり支えるのが理想的。家庭の中に囲い込むのではなく、社会に解き放つ教育でなくては。その意味では、地域活動などの社会参加を教育機会として考える必要もあると思います。
村井 子どもたち一人ひとりが独立した人間として尊重されることで、さまざまな個性が育ち、社会が豊かになっていく。独立自尊と多様性の育成こそ、日本の今後の教育はもちろん、21世紀の世界の教育を語るキーワードではないでしょうか。
宮崎 家庭教育が土台となり、学校教育、社会教育がそれぞれの機能を果たし、補完し合う中で、子どもの可能性がより豊かに広がっていくことが分かりました。今日はありがとうございました。