2008/5/14 | 講演会の模様が、南日本新聞に掲載されました。
(※この記事は、2008年4月20日付、南日本新聞朝刊に掲載されたものです。)
慶應義塾創立150年記念講演会「学問のすゝめ21」(慶應義塾、南日本新聞社主催)が3月22日、鹿児島市の城山観光ホテルで開かれた。「子どもを育む社会づくり」をテーマに、女優で国連開発計画親善大使の紺野美沙子さん、作家の鈴木光司さん、同大医学部講師の渡辺久子さんらによる講演に続き、3氏がパネラーとなってパネルディスカッションが行われた。会場には一般市民など約750人が参加し、豊かな心を持った子どもを育てる環境づくりについて、講師の体験に基づいた話に聞き入っていた。
………………………………………………………………………………………………
■講演 「途上国の子ども、ニッポンの子ども」
紺野 美沙子氏 (女優、UNDP親善大使)
私は1998年に国連開発計画(UNDP)親善大使の任命を受けました。UNDPとは国連機関のひとつで、途上国の国づくりや人づくりなどで、世界中の貧困をなくそうと、166の国や地域でさまざまなプロジェクトを行っています。
私は年に一度大使として途上国を視察し、現状を伝える広報の役目を担っています。それまでは大きな関心を寄せていたわけでも、知識があったわけでもありません。主婦であり母である目線で人々に伝えたいと思い仕事を引き受けました。最近は国際協力について関心を持つ人が増えてきましたが、まったく興味がない人が多数いることも事実です。その人たち、主に若者に日本は一国だけで成り立っているのではないことを伝えたいと思っています。
身近な例では、中国のギョーザの問題で日本の食料自給率について関心を持った人が多数いたと思います。わが国の食料自給率は約40%程度で、あとは諸外国に頼っています。食料ひとつだけでもさまざまな国から助けられています。
今の日本には、全国にコンビニエンスストアがあり、おなかがすいたなと思えば気軽におにぎりやサンドイッチが手に入ります。のどが渇けば自動販売機もいたるところに設置されています。お金さえあれば、便利な出来合いの食べ物があふれ、かつては家で手作りした、いなりずしもおはぎもお節料理も何でも手に入るのです。
しかし、それらの物ができるまでの過程を知らない子どもが数多くいます。食べ物だけではなく、身近に電気製品やあらゆる情報があふれ、便利で快適は当たり前の日本の子どもたち。途上国の子どもたちはその対極にある生活を強いられています。
水道普及率がほぼ100%の日本では、蛇口をひねると安全な水を手に入れることができますが、カンボジアやネパールの農村部では、夜明け前から水をくみにいかなければなりません。これは女性と子どもの仕事です。
モンゴルでは今でも遊牧民が多く、ゲルと呼ばれるテントで生活しながら馬や羊に草を食べさせて移動しています。乳を絞り、加工品にするなど、子どもたちも家族のために働きます。彼らは自らの手ですべてを作り出すので、その過程が見えています。しかし日本ではほとんどが外注ですので、その過程を知りません。
発展途上国では人が生まれ、この世を去っていくまでの過程が常に身近にあります。日本では人は病院で生まれ、病院で亡くなっていきます。人間の生死という当たり前のことすらも、今の日本では見えづらくなっています。
大人が日々の生活の中で残すべきものを態度で示し、地域が大切にしてきた伝統や文化を日々の生活の中できちんと伝えていくべきではないかと思います。
◇ ◇ ◇
こんの・みさこ 東京都出身。慶大文学部卒。1980年NHK連続テレビ小説「虹を織る」のヒロイン役。98年国連開発計画(UNDP)親善大使。
………………………………………………………………………………………………
■講演 「現代版 学問のすすめ」
鈴木 光司氏 (作家)
学生時代から小説家を目指していたので、卒業時に就職の道は選ばず、アルバイトをしながら執筆していました。教師だった女性と結婚し、2年後に長女が生まれました。仕事をしている妻に代わって育児をすることになりましたが、苦痛に思ったことは一度もありません。得ることばかりで、自分の小説がレベルアップしたほどです。
育児書のたぐいは一切読まず、すべて鈴木光司流子育てを実践しました。長女を保育園に預けている朝の9時から夕方の5時半までが執筆活動で、それ以外は育児に当てました。
デビュー作が出版されるのとほぼ同時に次女が生まれました。子どもが2人になっても手間は倍にはならず、長女の時に子育て方法は確立していたので、それを適用するだけでした。現在長女は大学の哲学科で、次女は哲学科志望の高校生です。彼女たちとのコミュニケーションは十分取れていると感じています。
私には子どもたちに伝えたいことが数多くあります。しかし、大上段に構えた物言いだと、子どもたちには伝わりません。関心を持たせ、話に引き込むことが大事です。彼女たちが哲学に興味を示したのは、私が現在執筆している物理、数学、哲学がメーンの小説が大きく影響しています。哲学は難しいのではと質問した彼女たちに、哲学とは、ある問題が発生したとき、それを解決しようとする方法論を分析し、より明晰にする学問だと答えました。
そして、問題解決は言語活動で行われるため、言語分析が必要となり、論理も明確にするため論理学が登場すると教えました。今後大きな問題に直面したとき、自分の力で解決しなければならない。そのときに学んできた哲学が有効に作用すると諭したら、彼女たちは哲学に大きな興味を示し、長女は哲学科に、次女も哲学科を志望するようになりました。
勉強とは世の中の情報を正確に理解し、自分独自でそしゃくして、人に説明する理解力、想像力、表現力の3つの力を身につけることが目的です。最も大事なことは、自分の考えをしっかりと表現することだと思いますが、日本の学校では理解力で終わっているのが現状です。表現力まで養う授業は難しいのですが、学問の最終目的は表現能力の洗練だと考えます。
福澤諭吉は著書『西洋事情』のなかで、日本には存在しなかった物理、数学、哲学に裏打ちされた西洋の論理性を紹介し、日本古来の「情緒」に加えることでさらに発展すると考えました。
これらを統合した思考をすることによって、世界に発信できる情報を手に入れることができるはずです。高校の早い時期に文系理系と分けるのは早すぎます。すべての学問を身につけることで理解力も表現力も豊かになります。さらに子どもたちに明るい未来の展望を与えれば、自発的に勉強をするようになっていきます。
◇ ◇ ◇
すずき・こうじ 1957年静岡県出身。慶大文学部仏文科卒。90年『楽園』が日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。最新作は『なぜ勉強するのか』。
………………………………………………………………………………………………
■講演 「赤ちゃんと子供の心に向き合う」
渡辺 久子氏 (慶應義塾大学医学部 講師)
「赤ちゃんに乾杯」というテーマで、アジア初の世界乳幼児精神保健学会世界大会を8月1日から5日間横浜で開きます。赤ちゃんと子どもの心に向き合うことから、人間学の非常に豊かな分野が広がります。
私たちの心のルーツである赤ちゃんの心について、乳幼児精神保健のパイオニアといわれる小児科医で精神分析医のウィニコットは「一人の赤ちゃんというものはいない。赤ちゃんはいつもお母さんとつながっている」と言っています。お母さんと赤ちゃんは一体で、その一体の中で私たち人間は生まれ育つのです。
お母さんに抱かれた赤ちゃんは、おなかの中で聞いていた声、においでこの人だということが分かります。その時に赤ちゃんはこれが人なのだと思うと同時に、その瞳がにこっと笑っているのは自分を見ているからなのだという関係まで理屈抜きに見ていくのです。
胎内にいる赤ちゃんは、40週の間に受精卵のミクロの世界から、頭囲33センチほどの胎児にまで成長します。この時期の脳を髄液と頭がい骨、さらに羊水と子宮が守ります。生まれ落ちると羊水と子宮はなくなりますが、私たちは羊水と子宮に代わるような温かさとしっかりした責任感で赤ちゃんを守り続けるのです。
大人にとって便利な世界は、命のデリカシーの固まりである赤ちゃんにとって、決して心地いい世界ではありません。もの言わぬ赤ちゃんが苦しむような社会は、病む人、障害を持って生きる人、老いていく人にとっても生きにくいものです。若者、壮年の人たち中心の世界であってはいけません。
胎児が足をけると羊水が波を起こして子宮壁にぶつかり、ふわっと胎児を包みます。羊水は24時間裏切ることなく胎児の命を守ります。これは母性です。母性を母性たらしめるものは子宮の分厚い筋肉層で、これは外敵から赤ちゃんを羊水と一緒になって守り抜こうとする父性です。
赤ちゃんや発達期の子どもは未完成の脳で、胎内、0~3歳、 10~15歳の時期に大きく発達します。赤ちゃんが大声で泣く1、2歳と、11~13歳のキレやすい時期は爆発的に脳が発達しているのです。この時期の赤ちゃんの泣き声や自己主張、思春期の子どもたちのエネルギーをきちっと受け止められる大きなキャパシティーを持った社会をつくらないといけません。
脳は、楽しい時、おもしろい時、心地いい時に一番発達します。失敗を恐れて緊張しすぎると脳の発達はゆがみます。その場合には「泣いてもキレてもいいから、ありのままの本音を出そうね」と本気で受け止めると、明るく安定します。誰もがみんな赤ちゃんで、誰もがみんな抱かれていた。そんな小さな優しい記憶を大事にしていく私たちの日々でありたいと思います。
◇ ◇ ◇
わたなべ・ひさこ 慶大医学部卒。現在、同大学病院小児科で思春期やせ症、被虐待児、自閉症、PTSDなどの子どもたちを治療的に支援している。
………………………………………………………………………………………………
■講演者によるパネルディスカッション 「子どもを育む社会づくり」
◆コーディネーター
慶應義塾大学 理工学部准教授 岩波 敦子氏
◇ ◇ ◇
岩波 3人のお話に共通しているのは、人と人はつながっており、人と人が直接向き合うことがとても大事だということでした。ご自身の体験で人とのつながりを強く感じたのはどういうときですか。
鈴木 僕が今書いている長編は関係性の物語です。もし人と人とのつながりがなかったら死ぬことなど怖くなくなってしまいます。愛し、愛されているという関係性があるから僕は生きていたいし、強引に絆が断ち切られるが怖いのです。関係性を保つために必要なのはきちっとしたコミュニケーション。夫婦のコミュニケーションがきちっと保たれているとお互いのストレスもなくなり、子育ては楽になります。
紺野 渡辺先生の世代の親や、昭和3年生まれの私の母などは子どものためだけの人生でした。でもそういうふうに無償の愛に支えられて育てられると、この人だけは絶対に裏切れないと子どもは思います。親だけでなく、この人は絶対裏切れないという存在が1人でもいれば、それを支えに生きていけるし、たとえ違う道に行っても必ず戻ってくるのではないのかなと思います。人間は愚かで駄目な部分がいっぱいあるけれど、そういう自分でも大丈夫だよと見守り、信じてくれる人の存在が大きいと思います。
渡辺 子どもが1歳のころ、当直で夫がいない夜に病院から呼び出しがありました。わが子をおんぶしてタクシーに乗り、「病院に行ってください」と言うと、見ず知らずの運転手さんはものすごいスピードで病院まで走ってくれました。困ったときに周りの人々の親心はとても大事です。
鈴木 今は、知らないおじさんから声をかけられたら知らんぷりをしなさいと子どもたちに言います。その大人が危ないか危なくないかを察知できる能力は、子どものころからいろんな大人とのコミュニケーションを通じて身につきます。危険を取り除いた環境ではなく、最初から誰とでもコミュニケーションをとれるようにすることが必要です。
紺野 日本人は言葉をかけたり、表現したりするのは苦手です。でもこのところ、40歳半ばを過ぎて、私たちは限られた命を生きているのだなと強く感じるようになりました。だったら思ったことはきちっと言葉で相手に伝えないといけません。日ごろから夫に「お仕事ご苦労さま」とか、子どもに「頑張ったね」とか、言葉にして伝えた方がいいのかなと思います。
鈴木 みんなで協力してつくり上げる舞台をやりたいと思っています。僕が戯曲を書いて演出するとなると、僕の頭の中にあるイメージを人に伝えないといけません。これは難しい作業ですが、それがうまくいくと劇団員みんなの頭の中に同じイメージが出来上がり、それに向かって歩いていくという感覚はとても楽しいものです。コミュニケーションは同じ目的に向かって進んでいく中で出来上がっていきます。
紺野 限られた命を生き、残された時間の中で何ができるかを考えたとき、子どもたちの心を耕す仕事をしたいなと強く思うようになりました。今の日本の教育は、心豊かに子どもが育っていくことがないがしろにされている気がします。皆さんも地域で子どもの心を育てるような視点で取り組んでいかれたら、素晴らしいと思います。
渡辺 電車の中で赤ちゃんに会ったら、大変な時代に生まれてありがとうと心から尊敬の念でにこっとすると、赤ちゃんがふっと目を見開いて応えてくれます。赤ちゃんは大事にしてくれる真心のこもった気持ちにすごく反応します。障害を持ったお子さんの背景には、祈るような深さを持ったお母さんやお父さんがいます。赤ちゃんや障害を持っている方たちとのやり取りからぜひ学んでいただきたいものです。

岩波 最後に、たすきを受け取った者として、次の世代に伝えたいことをお聞かせください。
紺野 10年前から国連開発計画親善大使としてボランティア活動をしていますが、それは生活の中の一部です。誰でも自分の余暇の範囲内で社会的活動をして、それが当たり前の日本になればものすごく大きな力になると思います。
鈴木 善と悪は地域や宗教、国によってバラバラですが、世界どころか宇宙に共通する善が必ずあり、僕は物理、数学、哲学を基本にした方法論からどうにか導き出せるのではないかと思っています。そこに自分の夢を託し、できなかったら次の世代にこのテーマを追求してもらいたい。
渡辺 子どもたちに伝えたいのは、自分の手の届く範囲は宇宙の中であなたが占めているところだということ。あなたが全責任を持って自分を幸せにしていく、正直に泣き、怒り、喜びながら生きてくれないと宇宙のこの部分は腐るのだよということです。だからあなたの手の届く部分は全責任を持って生きる。それはあなたしかできないよというメッセージを伝えたい。