仙台会場 2007年10月8日(土) 「文学のすすめ 」

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2007/12/3 | 講演会の模様が、京都新聞に掲載されました。

本質見失わず 新しい風取り入れて

(※この記事は、11月24日付け京都新聞朝刊に掲載されたものです。)

慶應義塾創立150年を記念する講演会「学問のすゝめ21」(主催・慶應義塾、共催・京都新聞社)が10月27日、京都市左京区の国立京都国際会館で開かれた。「文化の継承 ― 変わりゆくもの 変わらないもの」を総合テーマに、朝吹亮二慶應義塾大教授、歌舞伎俳優の中村翫雀氏、茶道武者小路千家の千宗守家元の3人がそれぞれ講演の後、鼎談で熱っぽく論じ合った。会場には約800人の来場者が詰めかけ、伝統文化の集積を次代へいかに引き継ぐかの論議に真剣に聞き入った。

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■講演 「詩にとって伝承とは何か」
型違えど、脈々と継がれる精神
 朝吹 亮二氏

1 文字として残っている和歌には7世紀のものがあり、口承されたものはさらにさかのぼれるだろうから、日本の詩歌は本当に長い歴史を持っている。和歌も、そこから派生した発句も、基本的には五七で始まる韻律を長く継承している。

現代で言う「詩」は、明治になって創作が始まった新しい分野である。1882(明治15)年に刊行された『新体詩抄』、あるいは上田敏の翻訳詩集『海潮音』の、例えばカール・ブッセの「山のあなた」では、「山のあなたの空遠く/「幸」住むと人のいふ」と、五七ではなく、七五という韻律で詩が書かれる。これが近代文語詩のリズムの基礎になっている。音数の点で似てはいても、伝統詩歌とは異なっている。

福澤諭吉が1869(明治2)年に刊行した『世界国尽』の一節も「世界は広し万国はおほしといへとおおおよそ」と七五という俗謡的な調子で書かれていた。

次に、萩原朔太郎が1917(大正6)年に発表した『月に吠える』の詩を引いてみる―「およぐひとのからだはななめにのびる、/二本の手はながくそろへてひきのばされる」。この詩では、七五調のリズムから解放された、現代詩につながる口語的で自由な作風が読み取れる。

さらに、西脇順三郎の日本語による処女詩集『Ambarvalia』の「天気」という詩を紹介すると―「(覆された宝石)のような朝/何人か戸口にて誰かとさゝやく/それは神の生誕の日」。
あざやかな印象を残す詩である。この詩集にはここにあるような地中海的な抒情とモダンな前衛の世界が交差し、やがて一体となる独自の世界が表現されている。

近代以降、特に現代詩では、過去をそのまま継承することを否定し、常に新しい型の創造を試み続けている。そのうえで、私たちの誰もが漠然と感じている根源的な「何か」を表現しようとしていると言える。そしてその「何か」は、西行も芭蕉も歌や句に書き残してきたものに違いない。そうした意味で、伝統詩歌から同じ精神が脈々と伝承され続けているのだとも言えるのではなかろうか。

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あさぶき・りょうじ 1952年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了。フランス文学者、詩人。専攻はフランス近・現代詩、シュールレアリスム。詩集に「opus」「密室論」「明るい箱」「現代詩文庫 朝吹亮二詩集」ほか。

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■講演 「歌舞伎・芸の継承」
個人の芸そのものを認める上方
 中村 翫雀氏

2 江戸時代の初め、出雲阿国という女性が、京都は四条河原で念仏踊りをルーツとする「かぶき踊り」を披露した。これが歌舞伎の発祥とされる。

庶民に人気が高まると江戸幕府は、「風紀が乱れる」との理由から女性の踊りを禁止する。やがて現在のような男性だけが扮する演劇へと定着する。当時、男性が女形を演じる場合、遊女の仕草を参考に一種のマニュアル化をしており、今もその伝統が受け継がれている。

当家の成駒屋は、上方歌舞伎にルーツを持つ。歌舞伎役者は梨園と呼ばれて、家柄、血筋を大事にし、幼いころから芸事を仕込んでいると思われがちで、確かに江戸歌舞伎の伝統を持つ家には、そうした傾向が現在も続いている。しかし、上方系の家では、まったくそのような縛りがない。実子に素養がないと判断したら、有能な弟子と養子縁組などして家系を継いでいる。伝統だけではなく、個人の技、個性を第一に考えるのが上方歌舞伎の「伝統」である。

当家では、親から子への芸の伝承も一切ない。芸は教えるものでなく盗み取るものというのが、祖父の中村鴈治郎、父の坂田藤十郎に続いている家風だ。私自身も、中学・高校時代は舞台に一度も立つことなく、慶應義塾大学に進学してからようやく芸事を習い始めた。江戸歌舞伎は型の伝承を大事にされるが、上方歌舞伎は、個人の芸そのものを大切にしている。

歌舞伎は2006年にユネスコから世界文化遺産の指定を受けた。「遺産」と言うと過去のもので、そのうちすたれるものと言われそうだが、歌舞伎は今なお日本の誇れる演芸として、多くの人たちに応援していただいている。

能・狂言は、武士など一部の階級の人たちに支持された歴史があるが、歌舞伎の原点は庶民の娯楽にある。私たちは歌舞伎を気軽に楽しんでいただけるよう数々の工夫をこらしている。歌舞伎と聞かれて堅苦しく感じる方もおられるようだが、まだ見ておられない方には、ぜひ舞台に足をお運びいただきたい。

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なかむら・かんじゃく 1959年京都市生まれ。慶應義塾大卒。67年智太郎を名乗り初舞台。95年5代目翫雀襲名。立役・女形とも演じられる幅広い芸域を持ち、「曾根崎心中」徳兵衛は屈指の当たり役。日本芸術院賞など受賞多数。

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■講演 「茶の湯の伝統と革新」
時代に即した変化で「伝灯」守る
 千 宗守氏

3 明治末に美術家、美術評論家として活躍し、ニューヨークで英語による「茶の本」を出版した岡倉天心は、その本の中で「茶は薬用より始まり、後に飲料となる」と述べている。日本の茶の湯は、1185年に臨済宗の開祖・栄西が中国から持ち帰り、修行の厳しい禅僧たちの座禅の際の眠気防止の薬用として広まったことがもとになっている。時が流れ、鉄砲の製造・流通基地として栄えた堺の豪商たちも競ってお茶をたしなむようになった。

当時最強の武器であった鉄砲に目を付けた有力武将らは、当然ながら堺に押しかけ、武力で豪商たちを制圧しようとしたが、ここで登場するのが私の先祖の千利休である。利休は、武士の要である刀を預けないと入れないような小さな茶室で、豪商と武士がひざをつき合わせて生身で対面する空間をしつらえる。まさに現代で言うネゴシエーション、前交渉の場を考案したわけだ。商談は穏便に進み、堺の都市はさらに発展する。残念ながら織田信長により堺は制圧されるが、利休は次の天下人になった豊臣秀吉に重用される。

利休の師匠は、同じ堺の住人、武野紹鷗である。紹鷗が、茶の湯に枯れ心を重んじたのに対して利休は、歌人藤原家隆の「花をのみまつらん人に山ざとの雪まの草の春をみせばや」という歌を介して、茶の湯に未来への可能性を含ませた。師の教えを大胆に否定した利休の心。ここから茶の湯文化が、武士たちに愛され、やがて庶民へ広まる足がかりとなり、現在まで連綿と伝わっている。

お湯を沸かすには火が必要だ。茶人は火を大事にする。時代とともに燃やすものが変化しても、火を伝えること、すなわち「伝灯」が茶の湯の基本なのである。同様に伝統も基本はきちんと伝承しながら、時代に即して変化しなければ生き延びることはできない。

欧米文化は、絵画、音楽、特にオペラのように、見えて、聞こえて、大きいものをよしとする。日本文化は、小さなものでも、味覚、臭覚、感覚を大事にして鑑賞する。加えて、四季の変化も取り入れた茶の湯は、まさに世界に誇る総合芸術だと自負している。

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せん・そうしゅ 1945年京都市生まれ。慶應義塾大大学院修了。89年第14代「宗守」襲名。家元として千利休以来の茶の湯の道統を継承。国内で新世代への啓蒙(けいもう)に努める一方、海外の講演や実技披露も積極的に展開している。

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■鼎談 「文化の継承」

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朝吹 西洋の文化・芸術というものは、どちらかというと個人の才能を重視するところがある。ところが日本、例えば俳句だと、誰かが発句を詠み、続いて何人かで連句をするといったように、共同作業で一つの作品を完成させる傾向があるように思う。
茶の湯は、小さな茶室空間で、感覚やしつらえものを共有して楽しみますね。歌舞伎も西洋演劇と違って、舞台と客席が非常に近く、お客も芝居に巻き込む雰囲気があるように思うが、西洋と日本の文化の違いについて考えをお聞かせいただきたい。

中村 客席の中に役者が溶け込んで一体感を醸し出す演出として、歌舞伎の舞台には「花道」が欠かせません。型が決まった時などに「成駒屋!」などと、三階席の大向こうから声が掛かるが、あれも芝居の中のせりふの一部だと、わたしたちは受け止めている。お客をも巻き込む一体感が、こと歌舞伎においては大きな特徴といえる。

 茶の湯でも「主客一如」という言葉があります。お茶会には、何らかのテーマを持ちお客を迎える亭主が、その日に使う道具と茶室周辺の随所に、そのテーマと季節に応じた趣向を凝らす。お客は、お茶とともに、それらの趣向を味わいながら、感想を述べる。主客一体の知的ゲームも茶の湯の世界には含まれているのです。これも一種の共同作業といえる。

朝吹 歌舞伎で大向こうから声を掛けるのを聞いていると、たいていが男性ですね。女性が声をかけてはいけないんでしょうか。

中村 いえいえ、女性の方も遠慮なく声を発していただければいいし、大向こうからだけではなく舞台近くの席から声を出していただいても、まったく問題ない。

4 「共同作業」西洋との違い 朝吹
花道で客と一体感を演出 中村
茶会は主客がテーマ共有 千


朝吹 先ほどの講演で、上方と江戸では文化の継承スタイルが違うというお話があった。上方は町人というか庶民の力が強くて、江戸は武家文化の流れがあることが原因なのでしょうか。

 そうですね。たとえば京都の祇園祭は、武士など支配層の影響をまったく受けていない。すべて民衆のパワーで続いてきたお祭りです。関西は権力による押し付けを嫌う、一種の型破りな気質がある。この型破りが伝統と革新との絶妙なバランスを保っているのでしょう。
ただ、面白い話があって、川でおぼれている人が助けを求めていたら、江戸の人は、すぐ助けに飛び込む。上方人は、まず「なんぼ出すか」と言う。京都の人は、「ちょっと人を呼んできます」と言って、自分がかかわらないようする。

中村 歌舞伎の演目で男女の別れの場面があったとする。江戸歌舞伎では、男が「何を言ってやがんでい」と言い放ち、ぷいと女の元から去る。ところが上方では、何やかやと言いながら、一度は去るけれども、また女のところに帰ってくる。芝居の中でも、江戸では我慢が粋だった伝統があるのだが、関西では本音で勝負するところがあるのです。

 中村さんも京都のお生まれだから、少しは感じていただいているのではと思うが、特に京都は、江戸と違って身分差の意識が希薄でした。縦軸と横軸が絶妙に交わる部分が多く、茶室がその典型です。

朝吹 千さんの講演の冒頭で、岡倉天心が英語で「茶の本」を出したというお話が出た。私が紹介した西脇順三郎の処女詩集も英語版だった。1906年に慶應義塾大学の文学部教授に就任する野口米次郎も、しばらくアメリカに定住し、何冊かの英語版の詩集を出して大評判になっている。彼も日本文化を欧米に紹介した先駆者の一人と位置付けられている。ちなみに彼は、建築家で有名なイサム・ノグチ氏のお父さまにあたります。
ここであらためて、欧米と大きく異なる日本文化の神髄というものを、現代の目から見ていただけますか。

5 バランス保つ伝統と革新 千
「不易流行」が日本の特質 朝吹
原点回帰 歌舞伎ブームに 中村


中村 明治維新の時も歌舞伎の存続は危ぶまれたのですが、お客さまのご要望が多く、何とか生き延びました。終戦直後は、「忠臣蔵」など武士道を美化する演目はすべて規制され、最大の危機を迎えました。ところがまた、じわじわとよみがえることができた。
日本に住まう人が、日本文化のすべてを愛しながら生きておられるとは決して思わないが、根底に流れているものは、いろいろな規制をくぐり抜けて伝承されているように感じる。島国で、あまり他国に侵略された経験のないことも、根の部分の伝統を守り続けることができた大きな要因ではないか。

 遣隋使、遣唐使の時代には中国から、近世の明治維新、そして終戦後には、欧米の文化を積極的に取り入れた。それらを完全に受け入れるのではなく、姿かたちを変えながら日本流にアレンジする。振り子のように片方に傾き過ぎれば、また元に戻る。これが日本文化の特質のように感じます。

朝吹 松尾芭蕉が「不易流行」という有名な考えを残している。千さんのお話にあったように、お湯を沸かす「火」の本質は変わらずに残りながら、新しい燃料、工夫、姿というものを常に求めているのが日本文化の特徴とも言えますね。

中村 いま、歌舞伎が一種のブームと言われています。私の考えでは、これは一過性のブームではなく、あまりにもアメリカナイズされた現在社会において、多くが揺り戻されるように、歌舞伎の世界に日本文化の原型を求めているのではないかとも感じています。

 最近は「エキゾチック・ジャパン」的な感覚で、若い方に着物が流行しているようです。お茶の作法も着物姿を基本に成り立っているから、このまま着物文化が復活すれば喜ばしいことだと思っています。

朝吹 最後に、お茶と歌舞伎、それぞれ日本を代表する文化を、さらに後世まで伝える思いをお聞かせいただきたい。

中村 歌舞伎は閉鎖的で難しいとの固定観念が定着しているが、歌舞伎の原点は娯楽です。皆さんの心を癒やせる演劇への改革を、これからも目指したい。

 茶の湯も、よく「礼儀作法が厳しいから」などと敬遠されます。茶の湯は日本の伝統文化のデパートであるとの意識に立っていただきたい。気軽に眺めに来るだけでいいから、お茶会においでいただきたい。私たちも、伝えられてきた日本の伝統と革新の姿を多くの人々に愛していただけるよう、これからも精進いたします。

朝吹 論議のテーマである「変わりゆくもの、変わらないもの」の本質について、皆さんにも一端をご理解いただけたように思います。

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