札幌会場 2007年9月9日(日) 「地域力あふれる豊かな社会を目指して 」

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2007/10/19 | 講演会の模様が、北海道新聞に掲載されました。

地域力あふれる豊かな社会をめざして

(※この記事は、9月30日付け北海道新聞朝刊に掲載されたものです。)

1_2 日本の近代総合学塾として初めて創立150年を迎える慶應義塾。その創立150年記念事業の一環として、8月5日東京会場を皮切りに来年夏まで全国13地区で記念講演会「学問のすゝめ21」を開催。
9月9日(日)札幌会場(道新ホール・中央区大通西3丁目)で約600人が参加した講演の要旨を報告する。

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■講演 「グローバリゼーションと地域社会 」
 和気 洋子 (慶應義塾大学 商学部教授)

2_2 今日はグローバリゼーションと、共に生きていくという意味でのコミュニティーの形成の場としての地域社会について考えてみたいと思います。

私たちはこれから先、より一層のグローバリゼーションの大競争の時代を生き抜いていかなければなりません。途上国の工業化が一層進展する中で、国際市場のメカニズムにさらされているのが製造工業だということをふまえた上で、それでは日本をはじめとする先進国が新しいビジネスモデルを見つけていくときに、何を新たなるポテンシャルとして見つけていけばいいのでしょうか。私はサービス経済ではないかと考えています。特にサービス消費をより高度化することが先進国の経済の浮力をもっとつけることにつながると思っています。

例えば、一極集中といわれる東京・首都圏がほかの地域との間にどのような関係性があるのかを2000年度のデータで計算してみると、農産品は相当各地方から移入していることが分かります。また、二次産業もほぼ対等の取引関係があります。ところが三次産業、サービス産業については約14兆円の出超になっています。首都圏から各地方にほぼ一方的にサービスが提供され、その対価が東京・首都圏に集まっているという構図が見えてきます。もっと地方のサービスセクターが成長すれば、このような偏った取引は解消されていくはずです。いかにして各地方、地域でサービスセクターを充実させ、そして新しいビジネスモデルを充実させていくかということが大きな課題の一つといえます。

また、経済活動におけるサービス部門においては、国家が一つのサービスを生み出すのではなく、多様な社会が多様なサービスを生み出すというサービスの多様性が国の力になるだろうと思います。売り手と買い手が共に価値を共有しなければ、そのサービスの質は向上しませんし、財としても成立しません。地理・地域性はもちろん、文化的な背景や環境・エネルギーへの配慮などを元に、もっと高度な消費を実現するためのサービスとは何かということを突き詰めていく必要があります。

押し寄せるグローバリゼーションの波の中で、日本社会が生き生きと活動していくためのもう1つのポイントは、コミュニティー機能を強化することです。それはただ単にマーケットの場、市場を意味しているわけではありません。将来世代への継承を含め、共に生きていくという意味でのコミュニティーの形成の場としての地域社会であり、グローバルショックに強い地域社会をつくるということです。そしてそれは多様な地域社会をつくることでもあります。例えば、北海道に日本国内で時差を導入するとすれば、東京との時差は1時間。したがって、北海道に金融センターができたとすれば、極東で最も早い時間に開く金融センターとなります。それぐらいの地域特性というのは、日本国内でもたくさん見つけられるはずです。また、それぞれの地域が、風景、風土、気候、文化、歴史、家族関係といったものを反映して個性的な消費や個性的なサービス、そして個性的な経済社会を営むことにもつながります。

最後に、グローバリゼーションが進めば進むほど、起こりうるグローバルショックは大きくなるものです。閉鎖的な世界経済が、負のエネルギーの中に落ち込むような事態を避けるためには、どうしてもナショナリズムを避ける必要があります。多様な地域社会が国内に存在していれば、一気に特定の方向のナショナリズムにベクトルが揺れることも少なくなるはずです。

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和気 洋子(わけ・ようこ)
1980年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。(株)富士銀行国際部を退職後、慶應義塾大学商学部助手・助教授、およびロンドン大学(LSE)訪問研究員を経て現職。専門は国際経済システム、地球環境問題。環境経済・政策学会、日本国際経済学会、環境省中央環境審議会委員、経済産業省総合資源エネルギー調査会委員、国土交通省国土審議会・交通政策審議会委員ほか公職多数。主な著書は、『EUの公共政策』(共編著・慶應義塾大学出版会)、『地球温暖化と東アジアの国際協調-CDM事業化に向けた実証研究』(共編著・慶應義塾大学出版会)など

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■講演 「負ける建築-リソースを活かした街のデザイン-」
 隈 研吾 (慶應義塾大学 理工学部教授)

420世紀という時代は、建築が経済、社会をリードする時代だったといわれます。アメリカで始まった住宅ローン制度はアメリカ経済を活性化させるきっかけとなり、オフィスビルや工場が次々と建てられていきました。ところが時代が変わり、20世紀後半になってからは、公共事業をはじめとする建築がお金の無駄遣いだといわれるようになります。20世紀の建築はいわば環境の上に立ち、環境を征服する「勝つ建築」でした。ところがその考え方が、環境問題などいろいろな問題を引き起こし、さまざまな批判を受けるようになりました。21世紀の現代は、逆に環境に奉仕する建築、つまり「負ける建築」に転換する時期に来ていると私は考えています。また、デザイン流行の広がりにも変化が出てきました。コンクリートの打ちっぱなし、ガラスの建築など、以前は世界の中心から流行が各地方に波及し中央の模倣をするという、中央集権的な流れが一般的でした。ところが1990年代に入り、その地域でしか造れない、地域の個性が出ている建築に価値が置かれるようになりました。ここでは、私が手がけた「負ける建築」の中からいくつか紹介いたします。

まず、瀬戸内海の大島にある山頂に、展望台を村のシンボルとして設計することになったケースです。すでに山の頂上は削られてなくなっていたのですが、もともとの自然な景観を生かしたいという考えから、展望台の空間に土を盛り、周囲の木と同じものを植えることで山の形を再現しました。

次に、栃木県の那須・芦野で、古い石倉を美術館にしたいとう地元の石屋さんからの要望がありました。予算はないが、石職人はいくらでも使ってくださいということでしたので、職人さんと一緒に芦野石を使った面白い建築ができないかと考えました。そこで発案されたのが石の格子。石で格子のような繊細なものが作れるのかと思いましたが、プロである職人さんは可能だと太鼓判を押してくれました。4年かけて完成した建物には、機械の空調をなるべく入れないようにし、石の穴から風がうまく抜けるよう工夫を施しました。石屋さんの庭に捨てられていた大理石の破片を薄く切って小さい窓を作ったのもポイントの一つです。

また、東京・六本木に造成されたミッドタウン内にあるサントリー美術館の設計に携わったケースでは、ここの床にサントリーのウイスキーたるを使いました。実はウイスキーたるは産業廃棄物ですが、素材に大変品質の良いフランス産ホワイトオークが使用されているので、この上質な素材をぜひ生かしてみようと思ったのです。曲面加工されたたるを中国に持っていき、お湯でまっすぐに戻した後、それをフローリング加工にして床を張りました。壁の素材には、桐材と和紙を用いています。桐も和紙も傷つきやすいものですが、サントリー美術館が大切にしている日本の生活美を、柔らかい素材で表現しようというのが建築のテーマの一つでした。壁面を伝統的な日本の無双格子にし、光の調整が取れるようにしてあります。

1933年、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが来日し、桂離宮を見学したそうです。そこで彼は、形だけにこだわるヨーロッパ人と違い、日本人は環境と建築という関係をデザインしていることに大変強い感銘を受けたといいます。20世紀の工業化社会における建築とは異なり、現在の建築は、環境をデザインするというスタンスに立つようになりました。古い物と新しい物をうまく混ぜ合わせながら、古い物の良さを伝え、伝統を生かすこと。そして、地域が一丸となり、自分たちの大切な財産を見つめ直すきっかけとして、それぞれの地域が持つよさを世界に発信していくこと。これが現在の建築が果たすべき大きな役割だと考えています。

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隈 研吾 (くま・けんご)
1954年横浜生まれ。79年東京大学建築学科大学院修了。コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。2001年より慶應義塾大学理工学部教授。1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞受賞、同年「水/ガラス」でアメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞。2002年「那珂川町馬頭広重美術館」をはじめとする木の建築でフィンランドよりスピリット・オブ・ネイチャー国際木の建築賞受賞

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■講演 「北の大地から世界へ」
 手嶋 龍一(慶應義塾大学 システムデザイン・マネジメント研究センター教授)

3 あの冷たい戦争が幕を下ろした後に広がる欧州の風景―。EU・欧州連合は、国境の壁を年ごとに低くし、ヒト、モノ、カネの流れを加速させようとしています。それはまさしく時代の先導者としての挑戦です。主権国家の枠組みは残しながらも、EUという名の新しい共同体は日々進化しているのです。そうしたなかにあっても、いや、そうだからこそ、地域社会がその豊かな個性をはぐくみながら自立しようとする動きが際立ってきました。それは文化的な面にとどまらず、政治的な分野でも自立を目指す力強い潮流になろうとしています。

同時多発テロ事件から1年後の2002年夏のことでした。私の母校・岩見沢東高等学校での創立80周年に招かれました。高校生たちが選んだテーマは「私が独立北海道の大統領だったら」。当時の私はNHKワシントン支局長だったため、任地を留守にしづらい事情がありました。しかし、この魅力的な誘いに抗(あらが)いがたく、母校にでかけていきました。そのとき、4人の若き大統領候補と共に読んだ参考文献が、文化人類学者梅棹忠男氏著の「北海道独立論」でした。梅棹氏は戦後の北海道が目指すべき道の一つとして、政治も文化も中央政府から独立した「北海道共和国」の構想を掲げたのでした。むろん、その提言があまりに野心的で、見果てぬ夢であることを、気鋭の文化人類学者は知り抜いていました。しかし、中央の財政に深く依存し、精神の自立までむしばまれている郷里の姿を目の当たりにした高校生には、捨てがたい啓示が含まれていたのでしょう。わたしたちの北海道は、結果的に梅棹氏が提言した対極の針路を選び取りました。それは中央政府に政治も文化も取り込まれてしまう道でした。

しかし、わが内なる「北海道共和国」をたった一人で目指したパイオニアがいました。火山灰地に世界的な牧場をつくりあげた故吉田善哉氏です。この希代のホースマンは、中央政府からの一切の補助金をもらい受けることなく、サラブレット王国を誕生させたのでした。それは既成の農政を拒んだまさしく独立共和国の名にふさわしいものでした。その後、その牧場は息子たちの世代に託され、ノーザンファームからかの名馬ディープインパクトが現われたのでした。毎年7月になると世界中からホースマンを集めてサラブレットの「セレクトセール」が開かれます。今年も3日間で115億円という盛況を呈しています。自立の志がいかに大きな仕事を成し遂げさせるか。いま私たちはその成果を目の当たりにしています。

次に世界と北海道の関係に目を向けていきたいと思います。今、世界的な地球温暖化の影響で、北極の氷が緩んだため新たな航路が開かれつつあり、北ヨーロッパから太平洋を抜ける北極航路において、カナダを中心とした活発な経済活動が見込まれています。この航路に最も近い位置にあるのが北海道であり、北海道が潜在的に秘めている可能性は計り知れません。このように北海道が重要で恵まれた環境にあることを、どれだけ国や自治体が認識しているのでしょうか。現在の中央集権的、画一的な政治の在り方では、北海道が持っている大きな可能性や起爆力を、政治的にも経済的にも生かすことができていないのが現状です。クラーク博士の「自立した国家、自立した市民」という言葉、そして、福澤諭吉の「国家に頼らずしかし国家のために」という志にあるように、これまでの狭い物の見方を乗り越え、今までの常識を打ち破るような新たな構想力をもって、国や世界に新しい進路を切り開くための新たなリーダーシップを打ち立てることが今、この北海道において必要とされていることなのだと思います。

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手嶋 龍一 (てしま・りゅういち)
北海道生まれ。慶應義塾大学経済学部を経てNHKに入局。ワシントン特派員としてホワイトハウス、国防総省、国務省を担当。その後、ボン支局長、ワシントン支局長を経て、2005年にNHKから独立。その後は、外交・安全保障問題を素材とした幅広い著作に専念している。07年4月慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究センター教授就任。08年4月開設予定の大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授に就任予定。主な著書は『ウルトラ・ダラー』(新潮社)、『インテリジェンス武器なき戦争』(共著・幻冬舎)など

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