仙台会場 2007年10月8日(土) 「文学のすすめ 」

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2007/12/4 | 講演会の模様が、河北新報に掲載されました。

(※この記事は、11月3日付け河北新報朝刊に掲載されたものです。)

人文学の危機が叫ばれて久しい今、文学の可能性を探る慶應義塾創立150年記念講演会「学問のすゝめ21」が先日、仙台市青葉区のホテル仙台プラザで開催された。この講演会は約1年間にわたり、全国13ヶ所で開かれ、それぞれ多彩なテーマで活発に意見交換されている。「文学のすすめ」と題した仙台会場には約750人の市民が参加。「学問の本趣意は読書のみにあらずして精神の働に在り」という慶應義塾の創設者、福澤諭吉の教えをモチーフとした、個性豊かな3人の講師の話に熱心に耳を傾けた。

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■講演 「文学のアメリカ」
「ソフトパワー」で魅了
 慶應義塾大学 文学部教授 巽 孝之氏

1 福澤諭吉の『学問のすゝめ』を通読すると、学問は最終的には精神の働きをめざし、人間の独立を図ることが主眼であると理解でき、これは非常にアメリカ的です。
アメリカ建国の父祖ベンジャミン・フランクリンは、アメリカで一番高額の100ドル札、福澤諭吉は日本の1万円札。二人とも大統領や首相になったわけではなく、共通しているのは国家を近代化した啓蒙思想の権化であることは注目に値します。
福澤は、独立宣言を起草したトマス・ジェファソンの「すべての人は神によって平等につくられている」という部分を、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと言えり」と、こなれた日本語にしました。
19世紀、福澤諭吉と同時代のアメリカの思想家ラルフ・ウォルド・エマソンは、アメリカの学者は精神的な独立性を持つべきだと強調。福澤は近代国家を創設した人間としてフランクリンと並び称されますが、独立の思想はジェファソンやエマソンに近いでしょう。
ジェファソンの「Independence(独立)」、エマソンの「Self・Reliance(自己依存)」は独立自尊となり、神ではなく自分自身を信じるというこの思想が、アメリカ社会に根付きました。
文学の力が今後も語り継がれるとすれば、軍事・経済力のハードパワーではなく、知らず知らずのうちに魅了してしまうソフトパワーであると考えます。
遠藤周作は、小説『沈黙』で日本人という原住民によって仏教徒に改宗させられたポルトガル人宣教師を、19世紀アメリカの作家ナサニエル・ホーソーンは、小説『緋文字』でピューリタンとインディアンの異文化衝突と、社会から孤立しても自立心を貫く独立した女性を描きました。
『沈黙』は異文化が衝突しても単純にAがBに取り込まれるのではなく、Aの文化をBが他のものにつくり変えることを示唆し、『緋文字』は今日のアメリカ的な独立精神を培っています。ここで肝心なのは当時のキリスト教が単純なソフトパワーではなかったこと。軍事力と経済力を誇示し、キリスト教を大義名分とする場合もあり、広く民衆を説得してしまうソフトパワーが、ハードパワーに利用され得ることを指摘しておきます。

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たつみ・たかゆき 1955年東京生まれ。87年コーネル大学大学院修了(文学博士)。日本英文学会理事。88年「サイバーパンク・アメリカ」で日米友好基金アメリカ研究図書賞、95年「ニュー・アメリカニズム」で福澤賞を受賞。近著に「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」、編訳書にラリイ・マキャフリイ「アヴァン・ポップ」ほか多数。

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■講演 「楽問ノススメ」
あらゆることが学問に
 慶應義塾大学 文学部教授 荻野 アンナ氏

2 福澤諭吉が言うように、学問は、生活のなかで庶民が独立の精神を実現させるためのあらゆるものと考えます。私の大好きな買い物も、身体と和解するために古武道やボクシングを習っていることもその一環です。
地元横浜で商店街を3年も取材していると、いろいろ見えてきます。日本の商店街の原点は戦後の闇市で、バラックから本建築、路地の上に屋根をのせてアーケードに。場所にはそれぞれ歴史があり、私も空間の読み方が豊かになりました。
フランスではアーケードを通称パサージュ、覆いの付いた抜け道と呼びます。これが19世紀前半に大流行したことで、老若男女、身分を問わずウインドーショッピングができるようになり、群集やデパートも出現。商業が激変しました。
パリ右岸のパサージュで、ステッキ商人セガスさんと出会いました。役者だった彼は小道具のつえを集めているうちにアンティークのつえを販売するようになり、本も出版。その彼が「国境を越えるのは政治でも外交でもない。商売だ」と言います。珍しいつえは「博物館に飾ると誰も触れないが、売ることで地方が変わったり国が変わったり移動する。商業によって人が交流する。ルノワールの絵もしかり。文化というのは移動していかなければならない」と。このように複眼的に見ることも学問ではないでしょうか。
4年間のパリ留学中、フランスの友人から日本のことを聞かれ、何も答えられない自分にがくぜんとしました。
そんなときに出会った作家が坂口安吾です。『日本文化私観』というエッセーで、「外国人は日本の伝統を知識として学ぶことはできるが、それが日本の本質かというとそうではない。日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ」と提唱しています。健康というのは、福澤的にさまざまな異なる意見の人と交わり、各人が独立している状態。それがあるなら京都の寺や奈良の仏像という形にとらわれることはない。この一言で私は救われ勇気を得ました。
しかし坂口安吾は伝統の真っただ中で育ち、その意義を知っていたことは後で知りました。また、ブルーノ・タウト著『日本文化私観』への反発も込められており、仏文に在籍しながら坂口安吾の研究も続けています。

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おぎの・あんな 横浜市生まれ。フランス政府給費留学生として、パリ第4大学(ソルボンヌ)に留学し、ラブレーを研究。その後作家に。「背負い水」で第105回芥川賞受賞、「ホラ吹きアンリの冒険」で第53回読売文学賞を受賞。趣味の落語では、第11代金原亭馬生師匠に入門、金原亭駒ん奈(二つ目)を名乗る。2007年4月フランス教育功労賞シュヴァリエ叙勲。

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■講演 「推理と空理の小説史」
土台に産業革命の進歩
 作家 川又 千秋氏

3 今日本で読まれているようなエンターテインメント小説は18世紀末から19世紀にかけて形ができました。それまでは、ギリシャ・ローマ時代からレトリックに寄り添った韻文が主流です。
産業革命の進歩を合理・実証主義が支え、そのうちに実用的な文章でも文芸行為ができると考えられるようになりました。谷崎潤一郎の『文章読本』には、「小説に使う文章で実用に役立たない文章はない。実用に使う文章で小説に役立たないものはない」とあります。
合理主義はリアリズム文学を開き、さらに現実を注意深く見ていくと謎が解ける推理小説が誕生しました。
リアリズム形式で、現実を精密に冷徹に描いたのがエドガー・アラン・ポー。彼は『モルグ街の殺人事件』『盗まれた手紙』などの作品で、密室殺人、天才探偵と凡庸な助手のコンビ、盲点や暗号のトリックなどを発明。後の推理小説のトリックの、ほとんどを網羅したと言われています。
もう一つ進めて、仮定のロジックが成り立つとしたら別なものが書けるのではないか、そこから出てきたのが空理小説、SFです。
月をめぐる小説で考えてみましょう。ポーは気球で月へ行くことを考えました。気密性の高いゴンドラ、水素より軽いガス、空気の濃縮装置など当時考えられるテクノロジーを総動員。空理より推理の考え方です。
フランスのジュール・ヴェルヌは、砲弾に人を乗せて月へ送り込む方法を考えました。月に着陸する方法を創造できず、地球を回って帰ってきます。アポロ11号を予言しているようですが、小説は1865年です。
H・G・ウェルズは、いきなり半重力装置、重力を遮断する装置をつくって月へ行こうとします。1901年です。彼の作品には『タイムマシン』もあり、タイムマシンは近代エンターテインメント小説のなかで最大級の発見ではないでしょうか。時間を飛び越えるという、本当の意味での空理を作り上げたのですから。
ポーもヴェルヌもウェルズも、今すぐ実現するとは思わないが、新しい発明や発見を土台にすれば月へ行ける、時間だって旅行できる…。産業革命以降、ロジカルに説明できる小説が書かれ始めた理由はそういうところにあると思います。

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かわまた・ちあき 1948年北海道小樽市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、博報堂入社。制作部在職中よりSF専門誌等に作品を発表。80年より作家に専念。81年「火星人先史」で星雲賞、85年「幻詩狩り」で日本SF大賞受賞。主著に「反在士の鏡」「火星甲殻団」などの長編小説、「人形都市」などの短編集がある。淑徳大学兼任講師。

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■鼎談 「学問のすすめ」

●出席者
巽 孝之 氏
荻野アンナ 氏
川又千秋 氏
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 わが国の純文学を代表する夏目漱石は、ロンドンに留学して精神を患い帰国しました。留学して本もたくさん読むのだけれども、異文化との交通とまではいきませんでした。
対して慶應義塾の文学者はというと。20世紀初頭、永井荷風は日本だけでなくアメリカでも浮名を流し、オックスフォードに留学した西脇順三郎は、モダニズムの巨匠T・S・エリオットと同じ雑誌に英語で詩を書いて掲載され、さらにイギリス人の女性と結婚して帰国しています。
漱石には、異文化である西欧文化が巨大な壁として立ちはだかりましたが、慶應義塾の文人は異文化と交通するばかりか、そのおいしいところをまんまとかすめとり、ジャパナイズして打ち返しています。西欧にコンプレックスを感じていないのです。

荻野 最近、日本の中にある変なフランス語とか、フランス人の漫画家が描いた日本像の変化を調べる機会がありました。日仏は密な付き合いがありながら、文化というのは相互誤解がすごい。これが屈折しながら、結果的に新しいものをつくり出していく。もしかして文化とはそういうものかなと思いました。

川又 小説は読むだけじゃなく、書くこともすごく面白い。いきなり何百枚も書いて失敗しては能力の無駄になるので、ある雑誌で「三百字小説」というのを始めたところ、たくさんの方から応募がありました。中身がまた面白い。文字数が少ないのでそれなりにテクニックは必要ですが、文字数を削る快感は格別です。興味がわいた方はチャレンジしていただければと思います。

荻野 海外では「これがうちの大学の創設者」と1万円札を見せます。わかりやすいので。パリの指導教官に見せたとき、「彼は1万円の価値か?」と言われてしまいました。今思えば、「フランスのパスカルと同じ値打ち」と言えばよかったんですね。当時、パスカルは500フラン札でした。
パスカルは人間の本質を究めるユマニストで、ユマニストの伝統の中から啓蒙(けいもう)主義が育ち、アメリカに渡ってフランクリンになる。500フラン、100ドル、そして1万円と、お札の系譜として見事につながっているわけです。

4 多くの人々を励ました 巽氏
相互誤解 新たな文化に 荻野氏
削る快感「三百字小説」 川又氏


 福澤の『学問のすゝめ』には、文学対実学という対立項があるようで、別の文脈では全体の学問も「文学」と呼んで二重の意味があります。同時に庶民レベルでも、精神の独立の役に立つものであれば「学問」であると、実に幅が広い。当時70万部という大ベストセラーでしたから、いかに多くの人を励ましたかということでしょう。

荻野 きょうの資料に、「活用なき学問は無学に等し」とありますが、私の専門とするフランソワ・ラブレーの有名な言葉にも「良心なき知識は魂の荒廃に他ならない」とあります。もしかして、福澤は英訳でラブレーを読んでいたのかもしれません。

 それは新しい「学問のすゝめ」です。まだ誰も研究していないですよね?

荻野 そうです。福澤の中に、実は世界文学が巧妙に、ミクロコスモスのように入っているのかもしれません。

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