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柳さんにインタビュー

SFC在学中、研究会の合宿で訪れた八丈島に魅かれ、映画「今日という日が最後なら、」を監督として指揮を取った柳明菜さん。国際的にも認められる作品を作り上げ、現在は京都で新しいコンセプトのお店に取り組まれています。
様々な壁にぶつかりながらも、キラキラと輝きながら意欲的に突き進まれる柳さんの魅力に、塾生スタッフが迫ります。

小学生 「女優になりたい」

写真 三姉妹の真ん中として生まれ、普通の家庭で育ってきた柳明菜さん。運動が大好きで、水泳ではオリンピックを目指していた。その一方で、集めてきた石を使ってペガサスを呼び、一緒にベランダで遊ぶという、夢見がちな面もあった。「ラピュタの影響かも」と柳さんは微笑みながら教えてくださった。

しかし、小学校に入学した頃、突然ペガサスが来なくなってしまう。

「そのときは「俗世に落とされた!」と思ったんですよ。一番葛藤したのは、小4のときですね。何で生きてるんだろう、って本当にいろいろ考えたんですけど、答えが見つからなくて、悲観的でした」

そんな折、映画『レックス』に出会う。恐竜と話している主人公を見て、芸能界に入って自分のペガサスを復活させよう、と決意する。

しかし子役になりたい、と願う柳さんに対し母親は、「大人になってから女優になれないのなら、子役として芸能界に入っても、一生食べていくことは無理だ」と言い聞かせたという。

「大学に入ったら、芸能界目指そうが何しようが、完全にママから離してあげる、て言われて、ペガサスを復活させる、そのために芸能界に入る、という夢を1回置いたんです。正直、つらかったですよ、生きてる意味が見つからなくて」

高校進学を決めたものの、勉強に意味を見出せず、アメリカへ1年間留学。そこで写真の魅力を知り、帰国後「写真の大学へ行きたい」という柳さんに、一次審査を通過したら行ってもいい、と母親はテレビ番組の女流カメラマンオーディションを持ってきた。結果は見事グランプリ。写真の仕事が舞い込んできた。

「すっごいわくわくして、こんな風に撮ろう、あんな風に撮ろう、って考えて撮影に行ったんです」

しかし、工夫を凝らして作品を撮る作業より、効率のよさ、スピードを求める作業が多くギャップに苦しんだ。

「気持ちがついていけなかったんですよ。はじめての業界で。はじめての大人の社会で。『そんなんだからいい作品ができないんですよ!』って号泣して飛び出して、写真は趣味でやろう、普通の大学に行こう、と思いました。結局は挫折でした。」

大学生 「SFCで出会った『世界を変えよう』という言葉」

写真姉の紹介で知ったSFCには、AO入試で合格した。そして、合格発表と同時に芸能プロダクションに応募、契約する。

「そのときは夢がかなった!と思ったんです。でも、実はここからが苦しみの始まりだったんですよね・・・。」

女優業は「とにかく痩せろ」の繰り返し。お酒の席に出ることも多かった。映画の監督にも興味があったが助監督を10年務めないとダメ、脚本案を考えても自分で映画を撮れるわけではなく、業界への門が全く見つからない、という窮地の状態に追い込まれてしまう。

「もうほんと、精神的にボロボロになって、そこで、ずっと持ってた夢だけど、諦めたんです、1回。この業界向いてない、就職しよう、って。業界は汚い、って思い込んで、やめようって決めました」

この頃、大学にはほとんど行っていなかったが、そこで初めて大学のシラバスを開いた。そして偶然目に入った言葉――それが「世界を変えよう」だった。社会起業家の井上英之先生がSFCに来た年だった。

「『世界を変えたい』ではなく、『自分が変わりたい』って思ったんです。社会起業家の研究会だったけど、井上先生にはすごく救われました。それでいいんだよ。今のそれでいいんだよ、とにかく動け、って」

合宿先として訪れた八丈島では、「八丈島のあなたの世界の変え方を教えてください」というテーマを与えられた。「世界の中心を自分に置け」「一歩踏み出せば世界は変わる」というルールに、深く考えさせられたという。しかしこのことが、マイナスイメージしかなかった業界への考え方が変わるきっかけとなった。

「社会起業を勉強していて気づいたのが、業界が汚いんじゃないんだな、ということだったんです。相手を選ぶ権利も断る権利も自分にあったはずなのに、まわりのせいにしていたんですよね。自分が変わればまわりも変わる、自分主体で動かなきゃ、って気づいたんです」

力強い真剣なまなざしを向けながら、一言一言かみしめるように語ってくださった柳さん。

合宿の最後には「私、映画撮ります」と宣言した。

「皆、『なりたい』って言ってるものにはなれないんです。『なるものになる』って気付いたんです」

大学生 『今日という日が最後なら、』

写真「映画を撮る」と決意した後も、その道のりは決して平坦なものではなかった。何度も行なったプレゼンテーションや交渉の場では、否定意見ばかり。しかし、柳さんは力強く語る。

「98%の人には否定されるけど、2%の人は信じてくれる」

その言葉の通り、八丈島の商工会会長さんなど、協力してくれる人が少しずつ現われ始めた。しかし、思うように予算も確保できず、仲間の学生たちは疲弊し、計画は頓挫。

「商工会会長さんのお陰で、国の助成金もいただけたのに、1回やめましょう、ってなったのが夏くらい。本当に辛くて。もう無理だもう無理だ、せっかく自分でつかんだチャンスだったのに、もう無理だ、って泣いて泣いて」

そんな時、突然友人にスティーブ・ジョブス氏のスピーチ文を紹介される。その中の「鏡に向かって、今日が最後の日なら自分は何をしたいか問う」という言葉に、「やっぱり映画を撮りたい」と目が覚め、八丈島という原点に戻り、4日間無我夢中で脚本を書きなおした。題名は『今日という日が最後なら、』。メンバーも集めなおし、再スタートを切った。

「でも、全員不安なんですよ。予算も全然足りないし。リーダーは夢を見続けさせないといけないのに、私も不安で。だから、年末に全員やめちゃったんです。1人になっちゃったんです。とにかく泣きまくったけど、でも、1人ででも撮り切ろうって強くいました」

そこで、学生や若手スタッフでの映画製作にこだわるのではなく、映画作りのプロセスに必要な人材を集める方向に切り替えた。個人的な人脈をたどり、カメラマン、音声、美術の方などプロの知り合いに安く依頼をした。現地の方にも多くの無茶なお願いをした。やっぱり、最終的には人の力だったと柳さんは語る。

最後まで決まらなかった上映会も、様々な努力の結果メディアの注目度が上昇し、ロードショーまで決定した。

「諦めないでやり続けると、何とかなるんだな、って思いました。本当に私、転んでばっかりなんです、人生。壁ばっかりだったんです。しかも、それを世の中にせいにして。でも世界の中心を自分に置いて、自分の責任で一歩踏み出すと、自分のまわりから変わってくるんですよね。そして、気づくと世界が変わってるんです」

乗り越えてきた苦難を振り返り、柳さんは笑顔でそう語った。

現在 「今が変わると、過去も変わる」

現在柳さんは、新たな活動を構想中だという。

「表現することは誰でもできるって気づいたんですよ。ただ、一部の人に伝えるのは誰でもできるけど、たくさんの人に伝えるって、できないんですよね。だから、それができる場所を作って、色んなクリエーターと発信していこう、って考えてます」

また、活動の原動力は?とたずねたスタッフに対し、「後悔したくない」気持ちが一番強い、と打ち明けてくれた。

「今が変わると、過去も全部変わります。今がよくなると、過去も全部よくなっちゃうんですよ。今自分が好きなことをやれていたり、動いていると、どんなことでも『このためだったんだ』って思えるんですよね。そしたら未来もよくなるし。職を変えろ、とかそういうことじゃないんです。自分が変わると、その職も楽しくなっちゃったりする、っていうことだと思うんですよね。」

もちろん、八丈島での映画の撮影は必ずしも順風満帆ではなかった。

「でも、色んな意見とか不満こそが、シグナルだと思ったんです。あって当たり前のものだし。だからこそ、感情で考えるのではなく、解決できる問題なんだと前向きな気持ちで取り組むようになってきました」

文章 山室信治(法4)

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柳さんに15の質問
1.今のマイブームは何ですか?

おしゃれです。高校時代はしていたんですが、最近またするようになりました。
あと、作曲作詩を、これは完全にマイブームです。かっこよくいえば作詩ですけど、鼻歌ですね。

2.好きな曲は何ですか?

NO DOUBTの『DON’T SPEAK!』バンドを組んでいたときにコピーして一番歌った曲です。Dreams Come Trueの『何度でも』は自分を励ますときに何度も聞きました。

3.好きな場所はどこですか?

実家のリビングです。私の家族は皆、別に会話はなくても寝るとき以外はリビングにいるんです。
また1人で行ってたそがれたりもします。

4.好きな本は何ですか?

本は全く読めないんです。読んでいる最中に必ず止まっちゃって、考え事に入っちゃうんです。

5.尊敬する人は誰ですか?

両親です。子育てってすごい大変ですよ。
父はずっと1つの会社に勤め続けていて、自分には絶対できないので尊敬しています。 母は理解力があって、怒るときは怒るけど、私が落ち込んでいるときはすぐに察知して励ましてくれる。
あとはレオナルド・ダ・ヴィンチ。私は自分の職業、肩書きを決めたくないんです。

6.朝一番にやることは何ですか?

ぼーっとします、ひたすら。例えば、午後に打ち合わせがあるなら、起きて2〜3時間はぼーっとしています。
それから、ブログを書こう、と思っています。

7.PCのデスクトップ、携帯電話の待ち受けはどんな画像ですか?

変えること考えたことなかったです・・・。
両方とも買ったままにしてあります。そもそも、面倒くさがりやなんですよね。

8.好きなものを最後までとっておく方ですか?

そのときの気分によって異なるんですよね。

9.学生時代は何をして遊んでいましたか?

学校の外でやれることをとにかくやっていました。遊んだという感覚はなくて、一番楽しいことをやっていました。
例えば、売り込み、AD、カメラマンなんかもしていました。友達と飲むことも好きでしたね。

10.学生時代の失敗談を教えてください。

先輩の卒業前に「好きです!」って告白する、というのをやっておけばよかったな、と思います。

11.学生時代に戻れるとしたら何をしますか?

学内恋愛です。湘南台駅で待ち合わせをしたり、憧れますね。

12.日本以外に住むとしたらどこがいいですか?

ギリシャですね。どこか縁があるのを感じています。前世ではギリシャにいたと占いで聞いたこともありますよ。いつか行くべきときが来て、行ったら何か起こるんだろうと思っています。

13.今の仕事をしていなかったら何をしていると思いますか?

結婚していると思います。

14.人生があと1日しかなかったら何をしますか?

ありったけのお金で高級食材を買ってきて実家で食べます。食べることが好きなんです。

15.願いが一つだけ叶うなら何を願いますか?

願い事を増やせたらいいんですけど、それは無理ですよね…。そうですね、空を飛んでみたいです。飛ぶ、という行為自体を楽しみたい。

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編集後記

柳さんの人生−まさに山あり谷ありだったのだな、そう思わずにはいられなかった。

しかし、その谷の時に必ず立ち止まらないで、写真家、映画監督、何よりSFCと次の道を見つけて必死に前へ進み、そこでまた頑張られた。その行動力が映画の完成という偉大な結果に結び付いたのだろうと思う。「あきらめないで続ければなんとかなる」そう言うことは簡単だ。しかし、それを実践した柳さんのすごさには脱帽するとともに、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。このインタビューを終えて、自分自身も柳さんから頂いたメッセージを胸に、今後とも苦難にも「あきらめずに続ける姿勢」で臨みたいと思った。

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