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学問のすゝめ21 メルマガ

「学問のすゝめ21 メルマガ」では、現在の慶應義塾の「知」を発信するとともに、皆様とともに「学ぶ」楽しさを再発見するきっかけをご提供できればと考えています。

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特集「『学問のすゝめ』は、情報化がすすむ今だからこそ、役に立つ」西澤直子准教授

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云(い)えり」――あまりにも有名な文章で始まる『学問のすゝめ』。しかし、冒頭のこの一文は知っていても、読んだことのある人はそれほど多くないのではないだろうか。
「福澤が生きた時代と今は、とてもよく似ている。『学問のすゝめ』は時代に流されずに生き抜くための必携書なので、ぜひ読んで欲しい」と語る福澤研究センター西澤准教授に、今なぜ『学問のすゝめ』なのか、その意義を伺った。 (インタビュー:2008/1/7)


  ▲西澤直子准教授からのショートメッセージ

< 目次 >


福澤諭吉から「ミッヅルカラッス」へのメッセージ

そもそも、福澤諭吉に興味をもったきっかけはどんなことだったのでしょうか?

福澤との最初の出会いは小学生の時、国語の教科書に載っていた『福翁自伝』でした。藩主の名前を書いた紙を踏んで叱られ反発した話や、お稲荷さんのご神体を入れかえた話を読み、おもしろい人だなと思いました。現在は、『学問のすゝめ』の中にも出てきますが、福澤の女性論や家族論に興味を持っています。



『学問のすゝめ』は誰に何を伝えるために書かれたものなのですか?

『学問のすゝめ』は最初から17編の構想があって書き始めたものではありません。17編はそれぞれ独立して、各々に異なる面白みや味わいがあります。しかし初編を書くことで二編以降にひろがりましたし、初編は二編以降のベースとなっていて、福澤が伝えたいことが一番詰まっていると思います。
初編は福澤が故郷である中津の人々、特に士族たちに向けて書いたものです。福澤は『学問のすゝめ』の初編を書くのと同じごろに、『中津市学校の記』というものも書いています。『学問のすゝめ』では主に精神的な一身の独立について、『中津市学校の記』では主に経済的な自立に焦点をあてて語っており、私はこの2つは補完関係にあると考えています。



その後出版されたわけですが、どんな人達に向けて出版されたのでしょうか?

福澤は、ひとりでも多くの日本人に読んでもらいたいと考えていたと思いますが、主な読者層として「ミッヅルカラッス」が念頭にあったと思います。「ミッヅルカラッス」とは福澤の表現で、ミドルクラス(中流階級)のことです。福澤は「ミッヅルカラッス」の人々が、近代日本を形成していく牽引力になると考え、その中心をなすのは江戸時代に学問する力を培ってきた士族層であると考えていました。そして、その士族層に新しい近代社会とはどういうものかを説いたのが『学問のすゝめ』初編ですね。
明治維新で一番大きな変化は、封建社会が崩壊して身分制度が解体したことで、それまでの士族層は生産的なことをせずに生きることができる身分でしたが、明治以降は異なりました。そのままの意識でいたなら、福澤の言葉で表現するところの「無産の流民」となってしまいます。そうならないためには、「一身独立」すること、すなわち精神的に自立することが必要で、精神的に自立するためには、経済的な自立「自ら労して自ら食う」、つまり自分の生活費は自ら働いていて稼ぐという意識を持つべきであると思っていたようです。
この考え方は、『学問のすゝめ』にも出ていますが、先ほど補完関係にあると申し上げた『中津市学校の記』では、繰り返し説かれています。

 

『学問のすゝめ』は、情報処理能力のすすめ

士族層は「自立」していなかったのでしょうか?

江戸時代の封建社会において、人々は「客体」でした。封建制度という決められた枠組みの中で、すべての人が「お上」から与えられたことをつつがなく実行し、「お上」に対して忠実であればよかったわけです。武士達にしても、精神的な拠り所となる規範はあたえられていたわけです。
ところが明治維新後は、自分達ですべて考えていかなければならないわけです。身分制度の崩壊で自由を手に入れる一方で、発生した権利を自分のものとして行使するためには、精神的に自立することが必要なのです。それが『学問のすゝめ』で一番伝えたかった「一身の独立」であると思います。



「一身の独立」とは具体的にはどのようなことですか?

「自分で判断すること」ですね。その自己判断力を養うために、学問をすすめたのだと思います。ここで言う「学問」とは単に勉強するということではなく、情報処理能力のようなもので、たくさんの情報から自分で正しいと思える情報を選別していく力を身につけることであったと私は考えています。
明治維新後、人々は江戸時代とは比べものにならないくらいたくさんの情報にさらされることになりました。鎖国が解かれ海外からたくさんの情報が入ってきましたし、士農工商と階級ごとに封鎖されていた情報も、身分制度の崩壊で誰にでも入ってくるようになりました。その結果、人々は様々な情報に翻弄されることになります。実際、西洋からの情報ならすべて正しいと思い込んでしまい、誤った医療情報が横行するなど、混乱が起きたこともあったようです。 ですから、情報におぼれることなく自分の道を見つけなければいけない。つまり、たくさんの情報から、正しい情報や自分に必要な情報を選びとる力が必要となったのです。

 

今なぜ、『学問のすゝめ』なのか

「明治維新と今の日本がとてもよく似ている」とお考えだとお聞きしました。

この10年くらいでインターネットと携帯電話が大変な勢いで普及しました。それに伴い、私達は莫大な情報をとても簡単に手にすることができるようになりました。便利な世の中になったと思います。
でも、今の学生をみていると、彼らは情報に翻弄されているのでは、と思うことがよくあります。レポートを書かせるとインターネットで調べたことを、そのままコピーして貼り付けて提出してきます。その情報が本当に正しいのか、自分にとって必要な情報なのかを見極めるべきなのに、平気で信じてしまう。情報の信憑性に対する意識が低いことに怖さを感じます。
だからこそ、学問をすることによって情報処理能力を養い、自分に必要なものは何かを考えなければいけないことに気づかされる『学問のすゝめ』が、今の人々に必要だと思うのです。



情報が簡単に手に入って便利だと思ってきましたが、弊害もあるのですね。

身近な例ですが、保育園の先生から「子ども達の暑さや寒さに対する対応力が下がっている」という話を聞いたことがあります。
本来、暑ければ脱ぎ、寒ければ着るのが当たり前なのに、天気予報で言っていた予想気温をもとに、「今日は何度だから上着を着る」「今日は何%だから傘を持っていく」などと判断をする。そして、天気予報が「今日は寒くなる」言っていたからと、汗をたくさんかいていても着込んでいるものを脱ごうとしない、寒くて震えているにもかかわらず、近くにある上着を着ようとしない。そんな子ども達が増えているのだそうです。
自分の肌で感じて、自分で判断することが大事なのに、それをせずに情報に振り回されてしまっているのですね。もちろん、情報を受け入れることは自分が経験できないことを知ることができるというメリットはあります。でも無批判で受け入れてしまうのはいけません。常に自分でそれを選択した、という自覚を持つことが大切だと思います。



最後に、今なぜ、「学問のすゝめ」なのか、その意義を教えてください。

福澤は「全社会の先導者たらん」と述べているのですが、私自身は、果たして福澤は未来の先導者になれたのか、という疑問を持っています。というのは、福澤が理想とした社会は、個人が一身独立しなければいけないというもので、個人が一身独立してこそ、一家が独立し、そして一国が独立する、というものでした。
ところが実際の日本の近代化は、まず国があって、それに庇護されるものとして家族があり、その家族に守られるものとして構成員の個人がある、という考え方で進んできたと思います。すなわち福澤の理想とは違う日本になっていったのではないかと私は思うのです。
もしも福澤の理想どおりに日本が近代化してきたならば、もう少し違った今があったのではないか・・・そんな風に考えると、今の時代に福澤の著作を紐解くことは、日本が近代化の過程で、未解決のまま放置してきた課題を浮き彫りできると考えています。そして解決の糸口を見つけるためには、『学問のすゝめ』は大変有効な書であると思います。

 

追伸:「心事の棚卸」のすすめ

福澤諭吉は『学問のすゝめ』の14編で「心事の棚卸」をすべしと説いていますね。私達大人も日々の雑務に追われると、今何をすべきかを深く考えずに、毎日をやり過ごしてしまいがちですが、「自分で判断して、選択すること」ができれば訳に立ちそうですね。

私も含めて、仕事や家事などに追われた生活をしている方が多いと思います。また、インターネットには素性のわからない人同士が交流する仮想コミュニティもたくさんあります。若い人には常にメールを媒介するという私には理解できない文化もあって、それに縛られているところも見受けられます。
福澤が言うところの「心事の棚卸」とは、日々の流れに翻弄されるだけでなく、時々立ち止まって、「自分が今まで何をしてきたのか」「これから何ができるのか」を整理することです。
今を生きる私達にとっても、「心事の棚卸」は大切なことだと思います。これをすることで、本来自分がやりたかったことは何か、自分ができることは何かが見えてくるのではないでしょうか。2008年がはじまったばかりの今が、「心事の棚卸」のチャンスかもしれませんね。

 

インタビュー聞き手

創立150年記念事業室 プロジェクトディレクター 本間 浩一 / ライター 粕谷 知美


プロフィール

西澤直子准教授 西澤 直子
 慶應義塾 福澤研究センター 准教授
 専門分野:日本近代史、女性史
 1986年、慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了
 1994年より慶應義塾福澤研究センター研究員
 2005年より現職


【西澤准教授のおすすめの『学問のすゝめ』】

●上級者向け:
福澤諭吉全集(第3巻)『学問のすゝめ』(岩波書店)

●中級者向け:
福澤諭吉著作集(第3巻)『学問のすゝめ』 (慶應義塾大学出版会)
原著に忠実に、しかし、現代かな遣いや新字体を用い、読みやすく編集されている。

『学問のすゝめ』  監修他:伊藤正雄 (講談社学術文庫)
用語解説が豊富。現代かな遣いや新字体を用い、読みやすく編集されている。
西澤准教授いわく「原著の雰囲気を味わうためにも、初めて読む方もできればこの本に挑戦して欲しい。」とのこと。

●初心者向け:
『学問のすすめ』 訳:佐藤きむ 解説:坂井達朗 (角川ソフィア文庫)
平易でわかりやすい現代語に訳されている。解説の坂井達朗氏は福澤研究センターの前所長。




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慶應義塾 福澤研究センター

福澤諭吉が持ち帰った乳母車 福澤研究センターは創立125年の記念事業の1つとして、三田キャンパスの旧図書館(重要文化財)内に設立されました。福澤諭吉や慶應義塾に関する資料の収集・整理・保管など、福澤研究の拠点となっています。また、福澤が海外出張の際に持ち帰った我が子のための乳母車や、生家の模型なども展示され、福澤先生誕生記念会(毎年1月10日開催)、オープンキャンパス(三田)には公開されます。




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