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トップページ > 学問のすゝめ21 メルマガ > vol.15 前田富士男

学問のすゝめ21 メルマガ

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特集『福澤諭吉展』に学ぶメディアの体感

 

福澤諭吉が生きた19世紀末〜20世紀初頭、ヨーロッパでカメラや挿画入りジャーナルという画期的な装置・広報手段が誕生した。そして福澤自身は、時事新報という新聞社を作り、新しいメディアの可能性を追求した。彼の姿勢は、コンピューターという新しいメディアに直面している我々に大きなヒントを与えてくれる、と語るのは、文学部の前田富士男教授。
現在、上野の東京国立博物館表慶館で開催中の『未来をひらく福澤諭吉展』の責任者も務める前田教授に展覧会の見所も交えて、お話を伺った。
(インタビュー:2009/1/21)


  ▲前田富士男教授からのショートメッセージ

< 目次 >


「美術が分かった!」と感じた瞬間があった

先生が美術に興味をもったきっかけは、どんなことだったのでしょうか?

私は中学(普通部)から慶應で学びました。そこで素晴らしい先生方にめぐり合い、小説を読んだり、音楽を聴いたり、絵画をみるようになりました。スポーツと同じで、良い相手を選んで練習するんだよ、と教わったのです。自分なりの練習をつづけて、高校2年のときかな、ルーブル美術館からきたセザンヌの絵です、展覧会場で視野に入った瞬間に「この静物画は、すごい!」と分かった瞬間がありました。だって、花瓶が揺れて動いていたんですから。それ以後、自分なりの感じ方がさほど間違っていなくて、専門家の判断と一致することに気づきました。



大学は工学部に進まれていますが、卒業後に文学部美術史学に入学。その理由は?

日本が高度成長の時代を迎えつつあり、またわが家の親戚はほとんどが理工系でしたから、当時、最も人気のあった新しい学科、つまりコンピューターを専門とする管理工学科に入りました。しかし卒業・就職を考える時点で、僕の目指す生き方とはすこし違う気がしました。美術を自分の目で感じとり、あれこれ考える喜びを大切にしたい、そう考えたわけです。あらためて芸術や文化の問題を基礎から専門的に学ぶために、文学部美学美術史学専攻に学士入学。大学院修了後に神奈川県立近代美術館に勤務もしましたが、ともかくずっと迷うことなく芸術学を、特に20世紀初頭のドイツを中心とした近代美術史、つまり抽象絵画や色彩論を専門に研究してきました。



先生はアート・センターの所長をお務めですが、具体的にはどのようなことをやっていらっしゃるのですか?

アート・センターは、芸術活動が現代社会に果たす役割を研究する大学附属研究所です。主にアートマネジメント研究やアート・アーカイヴの実践的展開を視野において活動しています。まあ、簡単に言えば、「複雑で奇妙な現代社会であればこそ、芸術が新しい人間の結びつきをもたらしてくれるはず」というテーマ、また若い生徒・学生・社会人の「文化的な感性をいかに育てるのか」ですね。
この研究所や文化庁の仕事に関わった経験も多くあったからでしょうか、今回の『未来をひらく福澤諭吉展』では、責任者的役割を命じられました。

 

福澤の生きた時代と、今。その共通点を探る。

『福澤展』についての公式コメントは報道発表など、いろいろなところでお話いただいていますので、今日は責任者という立場を離れた個人として、この展覧会の見所や、これから会場に足を運ぶ方へのアドバイスをお話ください。

ええ、それなら、福澤が生きた時代と私たちの現代との「類似」をテーマに、会場を歩いてください。キーワードは「メディア」。
ドイツで15世紀にグーテンベルクが印刷技術を開発した。初めて活版印刷された書物「グーテンベルク聖書」は、その一冊を慶應義塾が所蔵しているので、今回の会場2階に展示されています。これは、人類に新しいメディアを誕生させ、社会に与えた影響の大きさから、「グーテンベルク革命」と呼ばれています。それから約400年後の福澤が生きた19世紀半ばは、印象主義の絵画が出てくる時代で、またカメラが登場し、万国博覧会が開催されました。福澤はロンドンで開催された3回目の1862年の万博を自分の目でみています。
実はここで、メディアの大変化が生じており、福澤諭吉はそれを文字通り、体験したのです。メディアとは、「伝え方」の意味。すなわち、個人個人が本や数式を共有して信仰や科学を築いてゆくグーテンベルク的な近世の時代から、「万国」の新聞や写真で大量に情報がとびかう近代の時代にシフトしたのです。「ポスト・グーテンベルク革命」です。伝え方=メディアの大革命。現代のコンピュータもこの革命の延長にあります。福澤諭吉はこの時期に1年間をヨーロッパで過ごし、コミュニティやメディアの変化の渦中に身を置きました。極東からやってきた28歳の若者は、おそるべきことに、さっと「メディア革命」を感知しました。福澤諭吉が「写真大好き人間」なのは、たんなる好奇心などではなく、文字=テクストに変わる写真メディアの意味を見抜いたからでしょう。現代の私たちは、まさに「写真・ビデオ大好き人間」ですよね。福澤諭吉はそれを予知していたとさえ言えます。



現在、メディアがどんどん変わってきていますが、実は福澤もメディア革命の時代に存在し、その本質は何かを外国でみて、それらを吸収してどう応用するのかを考えた──それが展覧会のコンセプトに隠されている、ということですか。『福澤の時代と今の時代の類似性を追いかけてみる』という点でおもしろいですね。

今、私が注目してやまないのは、「You Tube」です。この動画のポータルサイトはサービスを開始してからたった3年で、1億点近いコンテンツを蓄積しています。これを「若い人たちが興味をもっている変わったサイト」と考えるのは、大間違いですね。というのは、これはメディア革命を端的に示すサイトにほかならないからです。まさに、従来の通信、放送、報道、表現活動と似て非なる場面、全然ちがう新事態が生じている。もし、そんな私の感覚に共感していただけるなら、福澤諭吉をみる眼もすこし変わるのではないでしょうか。
福澤は写真を好みました。ただ好きなのではなく、みずから積極的に被写体になった、カメラのレンズに身をさらした、そこが、実に面白いところです。書を揮毫したり、原稿を書いたりするのとはおよそ異なった可能性発展性を「写真」に見たにちがいありません。福澤諭吉は、「演説」にもそうした特性を発見したのでしょう。新しいメディアを敏感に捉え、その中に身をおいて自分で体感して何かをつかむ「<身体知>的な感性」──それが福澤諭吉の魅力だと私は思います。

また福澤自身は、慶應義塾の中で講義を持たずに、塾生を引き連れて散歩をした。塾生だけでなく道端にいる物乞いにも話しかけるなどしながら、渋谷や高輪のほうまで毎朝往復をしていた。あの時代であれば、明治政府に仕官することが最大の自分の活動表現であるはずなのに、福澤は政府から誘われてもいるにも関わらず、それを断ってビジネスマンや教育者を育てることに専念しました。それは福澤からすれば、強烈な「批判精神」の表れです。合理性を重視し、しかもその限界をラディカルに突破しようとする批判精神は素晴らしい。
僕はそれが「独立自尊』だと思っているし、こういう福澤の精神が今回の展覧会のテーマである「異端と先導』につながっています。ただ好き勝手なことを追求するのは「異常」ですが、皆が重視する正統を確認し、それに対して批判を加え、自分のポジションを決めるのが「異端」でしょう。福澤のこうしたファイティングスピリットは、ともするとグローバルなネットワークやたくさんの情報で溢れている現代のメディアで自分の方向性を見失いがちな私たちにとって、とても大事です。

 

だから、美術館や博物館に足を運んでほしい。

美術館や博物館が存在することや、そこに実際に足を運ぶ意義はどこにあるとお考えですか。

今はあらゆるものがデジタル化され、自宅に居ながらにして何でもみることができる。それでもあえて、美術館や博物館が存在すること、そこに足を運ぶことには、大きく言うと3つの意義があります。

1つ目は、情報ではなく、感性の大切さ。見たり、聞いたり、触れたりする感性の働きによって、そこに存在するオブジェクトを確かめること。しかも、そのオブジェクトは、美術館や博物館の意図にそったコンテクスト(=文脈)の中で展示されているわけだから、みる側も、そのコンテクストに寄り添う努力が求められる。
例えば、道端に転がっている石はそれだけなら単なる路傍の石にすぎない。けれども、鉱物学者が、それが「どういう石で、なぜここにあるのか」という説明を加えたとたんに大事なオブジェクトになるわけです。美術作品も同じで、その作品の良し悪しに触れると同時に、その文化的なコンテクストに触れられるような仕組みを美術館・博物館が用意しているのです。たんに自分の好悪の感覚ではなく、大きな歴史や世界のひろがりにふれる場です。感性とは、五感の直接的な感覚や感情ではなく、コンテクストを踏まえた知覚、のびやかなイメージ理解にほかなりません。それを身につける場が美術館です。

2つ目は、美術館・博物館は、知識を情報化しないで、オブジェクトとして確保していること。 これは自然科学系の専門家に聞いた話ですが、かつて鼻を使って歩く鼻足類という動物がいて、ある科学博物館にわずかな化石が保存されていたそうです。学会誌に論文が掲載され、かなり信頼できる発見だと評価されていたのに、ある時その化石が無くなってしまった。そうなってみると、鼻足類など信じられない、それはでっちあげだろう、という評価に変わってしまったそうです。むろん、本当はその化石そのものがインチキだったかもしれない。
この話は非常に示唆に富んでいますね。科学的認識の正統性の根拠にかかわるからです。もしも3D等を駆使してその化石の忠実な記録を残していたとしても、その物が無くなってしまったら意味がない。つまり、オブジェクトが有形資料としてそこに存在することがきわめて大事で、それを確保するための役割が美術館・博物館にはある。ものごとを理解することって一体どのように成り立つのか、という現場性が、美術館・博物館にあります。

3つ目は、美術館・博物館が非日常的な空間を体験させる1つの場になりうることです。非日常的な価値、と言い換えてもよい。昔は宗教空間が、つまり寺院や聖堂などの祈りの場が、日常生活とは異質な空間の典型でした。しかし、それがなくなりつつある現代では、美術館・博物館の非日常性は、私たちが生きてゆくうえでの価値観を開示する場になりえます。
例えば、フェルメール展に100万人近くも行くのは、単にマスコミの戦略に乗っているのではなくて、非日常的なある種の価値に触れたいとの希望の切実さを反映しています。フェルメールはよく分からないけれど、友達を誘ってお昼前に美術館に行って、どこかでランチを食べて帰ってきましょうよ、でもかまいません。フェルメール作品は、人間の大切な生き方を、17世紀のオランダの静かな生活空間を問わず語りに示しているからです。



最後に、美術館や博物館の見方を教えてください。

美術館や博物館に行くと、疲れますよね。私たち専門家も同じです。あれは、時間の過ごし方に無理があるからでしょう。そもそも、ある作家が一生かけて、死に物狂いで生み出した作品群をわずか1時間でみるのは、所詮無理な話なんです。良い作品、好きな作品だけみて、帰ってくればいいのです。そのかわり、また出かけることです。そのときも、すこしだけ見て帰ってくること。
良い作品と言われても、それがわからない、誰に聞けばいいんですか? 初めて入った外国の美術館では、なおさらわからない──そう聞かれます。答えは、簡単です。初めての美術館や博物館に行ったら、まずミュージアムショップに行くのです。どこの美術館・博物館でもみてもらいたい良い所蔵品・展示品を絵葉書にしています。絵葉書を眺めて自分が気に入ったものを例えば5枚買って、入場。それを会場の監視の人に見せ、「どこにあるの?」と聞く。たいてい案内してくれるから、そこにゆき、その5点を順番に10分間ずつ、じっくりみれば、オーケーです。絵葉書だって、たくさんありますよ、と言われるかな──まあ、そうですね。そのときは、ショップにあるカタログやガイドブックをパラパラとのぞいて、大きい図版のものや、解説が長いものを目星にすれば、大丈夫です。
美術館の端から端まで、足を棒にして長時間みてもダメです。良い作品をすこしだけ、しかし、じっくりみて、あとはカフェでお茶でも飲んで、あたりの人を眺める。外国だと、なかなか素敵なファッションの人が多いんです。
今回の東京国立博物館の福澤諭吉展も、私たちはあるコンテクストをつくって展示しています。そのコンテクスト、「異端と先導」という視点をだから、感じとっていただきたいけれども、しかし、ご覧になる方がご自分なりにコンテクストを持って重要な資料、良い作品を選んでみていただいてまったくかまいません。さきほど、入場する前にまずミュージアムショップで絵葉書を、と言いましたが、現代では、インターネットもわるくありません。事前に福澤展の公式ホームページや福澤研究センターの都倉武之さんの書くブログなどを参考にしてください。そうした内容から、自分なりのコンテクストを作って、会場に出かける。例えば福澤愛用の居合い刀だけをみてもいいし、福澤の門下生が収集した美術品だけをみてもいいですね。それから強調しておきたいのは、やはり会場の空間そのものです。これはインターネットではわかりません。福澤諭吉ゆかりの品々が明治時代の建築、表慶館(明治42年・1909年)の空間に展示されている雰囲気が素晴らしい。表慶館という空間を楽しむためだけでも足を運んでいただく価値は十分ありますよ。

 

インタビュー聞き手

創立150年記念事業室 プロジェクトディレクター 本間 浩一 / ライター 粕谷 知美


プロフィール

前田 富士男 教授前田 富士男 (まえだ ふじお)
慶應義塾大学 文学部教授
アート・センター 所長
慶應義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程から、神奈川県立近代美術館学芸課、ボン大学美術史研究所(西ドイツ政府DAAD留学生)、北里大学教養部をへて、現職。日本学術会議会員、文化庁独立行政法人評価委員会(美術館部会)委員ほかを兼務


【前田先生の「未来をひらく 福澤諭吉展」の見所ガイド】
福澤展が開催されている東京国立博物館表慶館の入り口には、緑のライオンが2頭います。そして入ってすぐのホールの左手には、志木高校所蔵の福澤諭吉座像が、2階の展示室には福澤の還暦記念に弟子たちがプレゼントした灯台があります。これら3点は、明治時代の彫刻家、わが国のブロンズ彫刻の礎を築いた大熊氏広の優れた作品。表情豊かな輪郭をもつ大熊作品の3点三様のフォルムを堪能するコンテクストも、福澤展の楽しみ方のひとつです。

 

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