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学問のすゝめ21 メルマガ

「学問のすゝめ21 メルマガ」では、現在の慶應義塾の「知」を発信するとともに、皆様とともに「学ぶ」楽しさを再発見するきっかけをご提供できればと考えています。

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研究者と企画運営者、2つの立場の葛藤。そして“破壊”と“発見”

 

慶應義塾創立150年記念事業の一環として開催された福澤諭吉に関する展覧会は、2009年1月に東京で開催された「未来をひらく福澤諭吉展」を皮切りに福岡、大阪と巡回を続け、同年9月横浜での特別展「福澤諭吉と神奈川」にて幕を閉じた。今回、その準備期間から企画・運営に携わったのが、慶應義塾福澤研究センターの都倉武之氏だ。慶應大学在学時代から大学院、そして現職に至るまで福澤研究を専門とされている都倉氏にとって、この展示会を通して得られたのはどんなものであったか、お話を伺った。
(インタビュー:2009/10/8)

 

< 目次 >


「お札に描かれた偉い人」というイメージを破壊したかった

ふだんは研究者でいらっしゃるお立場として、今回展示会の企画・運営という経験をされて、どんなご苦労がありましたか?

研究者というのは、研究対象からある程度距離を置き、第三者的に論じることが必要です。しかし、今回慶應の事業として福澤諭吉展をやるということは、周りからは当然福澤寄りの立場であるというイメージで見られることは避けられません。その点において、研究者としては正直複雑な思いもありました。

私の中では、福澤という人物から一定の距離を置き批判的な面も検討し、、その上で価値を認めて評価しているつもりです。そして、そこから得られるものは何らかの形で今の社会の中にも生きてくるものだと思っています。福澤の業績を知るということは、歴史研究という自分たちの生活とは無縁のところで完結するものではなく、現代の社会や教育につながってくるものが必ずあるはずなんです。私自身、そこにつなげられる研究がしたいと思っていますし、今回の展示会でもそんなメッセージを伝えることで、研究者としての自分の立場も貫けると思いました。



東京の展示会場では、入ってすぐの第一室に、いきなり福澤の股引(ももひき)((図録p52)が展示されているなど、従来の福澤像とはかなり異なる世界が展開されていましたね。スタートとなる場所でそういう展示を行ったのは、どんな意図があったのですか?

一万円札の図柄に肖像が採用されていることもあり、福澤諭吉というと「一般人からは遠いところにいる偉い人」という先入観がついて回りますよね。今回はそれを壊したいという思いがありました。私は、福澤という人間はあがめ奉ると逆に価値がなくなってしまう人だと思っているので、等身大の福澤を見せるという点をかなり意識しました。股引以外にも、早朝の散歩に同行する塾生を起こすために使ったドラ(図録p53)や、日々身体の鍛錬に使った居合い刀(図録p50)、墓所を改葬したときに出土した副葬品の散歩杖(図録p50)、倒れて死去するまでの体温や治療経過を記した記録(図録p64)など、生身の福澤が伝わるものを多数展示しました。

そういう観点で展示物を集めてみると、福澤は、それまで私が思っていた以上に俗っぽいことをわざとやっていた人なのだということを改めて知りました。展覧会の準備段階から閉幕後の作業までの日々を「福澤展のツボ」というブログで公開していたんですが、「東博の中心で、股引(ももひき)をかざる」(http://tokura.fukuzawa2009.net/2009/01/post-5631.html)と題して、股引のことを書いた記事が「一番おもしろかった」いう意見を何人かからいただきました。股引をあえて強調したことで、福澤の人間的な面を幅広く伝えられたのではないかという気がしています。見て下さった方の側でも、福澤のそういう面に対して強い印象を持たれた方が多かったというのも、私にとっては新たな発見でした。


福澤は無類の写真好きとしても知られており、今回も多数の個人写真が公開されていましたね。

特に、図録の表紙にも使われている若い頃のちょんまげ姿の写真は、かなり新鮮な印象を持たれたのではないでしょうか。これは横顔の写真となっていますが、この時代に、この角度の写真が残っているのはかなり珍しいケースと言えます。また、洋服姿の福澤が両側に長男と次男を抱き寄せて写っている写真(図録p66)からは、家族思いであった一面がうかがい知れます。一万円札でおなじみの、人を寄せ付けない雰囲気とはまったく違っていて、私もすごく気に入っている写真です。こうした展示物を通して、福澤を今までより身近に感じられたという声は多かったですね。

 

各展示会場でのふれあいを通して得た“発見”

展覧会では、東京から福岡、大阪、そして神奈川と日本各地を回られましたよね。地域ごとに異なる反応などはありましたか?

東京では、慶應出身の特に年配の方が熱心に見て下さる姿が印象的でした。それに比べて大阪では、若い人が多いのに驚きました。若い女の子やカップル、中年の女性もたくさんいました。そして、展示物に関していろいろ細かいことを質問されるケースも大阪では特に多かったですね。「このハンコの石の種類は何なのか?」とか「この臼は何の木でできているのか?」など、今まで自分では考えたこともない疑問を次々にぶつけられました。大阪という街はとても庶民的というか、人と人との壁が薄いという地域性もあるんでしょうか。そういう大阪人の気兼ねのなさというのも自分の中では新鮮でした。福澤が着流しを好んで着たのも、大阪という自由な街で過ごした影響が大きいのではないかと感じましたね。

今回、かなりの時間各地に滞在する機会を得て、さまざまな所を歩き回り、現地の人と接して、現地のものを食べることで、肌を通して自分の視野を広げられたように思います。その土地と福澤との関係性について深く考える機会にもなりました。普通に研究を続けていたのでは見えなかったたくさんのことが、この展示会期間には凝縮して勉強でき、個人的にも大変有意義な経験となりました。

また、来場者がいろいろな展示物を見ているうちに、「うちにもこんな物があるよ」といって持ち込んでくれるケースもありました。たとえば、福澤がある人に本を贈った時の手紙を展示していたのですが、まさにその本が見つかったんです。手紙の日付と本に書いてある署名の日付、名宛人が一致したのです。今回の展覧会は、新たな土地や人、そして資料との出会いの場でもあったと言えるかもしれません。



先ほどお話にも出た「福澤展のツボ」というブログでは、展示物の運搬作業などドキュメンタリータッチの描写も多く、普段は見られないような展示会の裏舞台も紹介していただけましたね。

今回は学芸員の方2人といっしょにディスカッションしながら準備を進めましたが、私自身は学芸員の資格を持っていないんです。それで、準備の作業を半ば観客の立場で新鮮に感じることも多かったので、素直にいろいろ書いてみました。プロの学芸員の方の中には、裏方は見せるべきではないという考えの方もいらっしゃいますし、確かに見せることで壊してしまうものもあるのは事実だと思います。でも、見せることによってしか伝わらないものもあると思うし、見せることで福澤展に対する興味をかき立てられると思ったことは、どんどん載せました。

 

福澤も重んじた「フェアであること」

実際に展示会をやってみて、難しかったのはどんなことですか?

福澤は文字を中心に活動した人なので、展示物はどうしても文字の資料が多くなってしまいます。ですから、そのおもしろさをどうやって伝えるかがむずかしかったですね。説明用につけるキャプションも、文字数の制限があってそう多くは書けません。音声ガイドも用意しましたが、実際に使われる方は一割程度のようです。詳しい説明を載せた図録も用意しましたが、これも購入して帰られる方は一割ほど。説明しきれないことも多く、どこまでお伝えすることができたのかなという思いはあります。でも、個別のことはともかく、展示会全体の雰囲気がなんらかの形で新鮮に映ったり、来場者一人ひとりが自分に活かせるものが見つけられたのなら、それで成功だったと言えるのではないでしょうか。

ただ、いくら中味を充実させても、それを発信する方法には工夫が必要だということは感じました。今回はその点では、多少後手後手に回ってしまったと反省しています。特に、子ども向けの企画は福岡・大阪だけ、それもややとってつけたような感じになってしまいました。展示の仕方や配布物にも教育的な工夫の余地があったのではと思うのですが、なにぶん余裕がなかったというのが正直なところです。もう少し、子ども向けにもわかりやすく伝えることに時間がかけられればよかったなと思っています。



今回の展示会で、先生の研究テーマと重なるのはどんな部分でしたか?

今回の展示では、日清戦争の時期に慶應が大量の朝鮮留学生を受け入れたという写真(図録p222)をはじめ、ほとんど知られていない福澤とアジアとの関係についての資料を多数取り上げました。私自身、特に朝鮮に対しての福澤の対外意識にとても関心を持って研究を進めているので、個人的に思い入れのある部分でもありました。現時点での私の理解では、福澤という人は、朝鮮に対しても基本的に啓蒙家で、政治家のようには冷めた目で割り切れなかったのだと思います。だから、近代化の必要性を朝鮮の人々に心底わかってもらおうとする、そこで朝鮮留学生も積極的に受け入れます。しかし同時に、当時の国際情勢は待ったなしの状況ですから、強い危機感も持っており、朝鮮政府がそういう現実から目を背け、変わろうとしないことにいらだち、時に非常に強い言葉で批判します。そのジレンマの中にいて、彼自身悩んでもいるのです。だから、福澤が朝鮮問題について書いたものは、一見矛盾だらけに見えます。

「脱亜論」をはじめとして、福澤の朝鮮に対する発言は批判的に扱われることが多いのですが、一方でこういう資料も残っているということを示したいと思いました。実際にどう解釈するかは見る人に委ねましたが、たとえば、侵略主義的と批判されるような福澤の文章と、韓国併合反対と読める文章とをあえて並べて見せることで、「福澤の考えはこうである」と一方的に決めつけるのではなく、見た人が各自で考えることを促すような展示の仕方をしてみました。こうした展示が、今までの意見にこだわらない議論のきっかけになればいいなと思っています。

福澤自身、他人の意見に左右されること無く事実を直接吟味して判断をすることや、公平や平等を重んじるということ、つまり「フェアであること」にこだわりを持っていました。それは、福澤が生まれ育った社会が、身分や権威など、フェアさとはほど遠いことで決まってしまっていたことへの反発であったと思いますし、彼はフェアかどうかということにとても敏感だったと感じられます。ですから自分が俗であることを強調し、みんなと同じ立場であるからこそ、自分の主張に説得力が生まれると考えていたようです。町人風の着流し姿も、無位無冠を通したのもそのことに通じます。今回の展示会を契機に、そんな「人間福澤」の実像も感じていただければうれしいです。


 

インタビュー聞き手

創立150年記念事業室 プロジェクトディレクター 本間 浩一 / ライター 永井 祐子


プロフィール

都倉武之(とくら たけゆき)都倉武之(とくら たけゆき)
慶應義塾福澤研究センター専任講師

 

 

学びのタネ


●「福澤展のツボ」http://tokura.fukuzawa2009.net/
準備期間から展示会開催中、および片付けに至るまで、日々の様子が克明に綴られている。


●図録「未来をひらく福澤諭吉展」「福澤諭吉と神奈川」
展示した資料・作品について、詳細な解説のついた図録。会場で販売されたのと同じものを、インターネットからもお求めになれます。

「未来をひらく福澤諭吉展」ご購入ページ
「福澤諭吉と神奈川」ご購入ページ

 

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