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トップページ > 学問のすゝめ21 メルマガ > vol.26 鈴木晃仁

学問のすゝめ21 メルマガ

「学問のすゝめ21 メルマガ」では、現在の慶應義塾の「知」を発信するとともに、皆様とともに「学ぶ」楽しさを再発見するきっかけをご提供できればと考えています。

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精神医学史を知ること−それは、人間の営みそのものの歴史を知ること

 



協力:年表共有コミュニティ
年表例:福沢先生

「現代社会では、うつ病に代表される心の病気を患う人が増えている」という報道をしばしば目にする。しかし、心の病気が増えているかどうかを問う前に、私たちはまず、心の病気、すなわち精神病とはそもそもどういう病気なのか、ということに目を向ける必要があるだろう。精神医学史が専門という鈴木晃仁先生に、この研究に携わったきっかけから、精神病とは、また、その歴史を研究するということはどういうことなのか、お話を伺った。
(インタビュー:2010/8/3)

 

< 目次 >



文系と理系、両方を学びたかった学生時代

精神医学の歴史がご専門ですが、この研究の道に入ることになったきっかけを教えてください。

私は少年時代から「理科が好きな男の子」でした。それなら手先が器用でいろんなものを組み立てられるかというと、これが大変不器用で、雑誌『科学と学習』付録ですらもまったく組み立てられませんでした。今でも組み立て式の家具の組み立てなど、相変わらず苦手です(笑)。それでも自宅の裏庭の動物や昆虫のありさまを観察したりするのは大好きでした。

高校では理系クラスで学んでいたのですが、何を思ったか一ヶ月だけ「小説家になろう!」と思ったときがありまして、そのときに文系クラスに進み、文系で大学受験をしました。あとから振り返れば、小説家になりたかった期間というのは人生のエアポケットのような時期でした。「ああ、本当は理系が好きだったのに、人生が2つあったら文系も理系も学べるのに!」と思っていたときに、大学の授業で「科学史・科学哲学」という学問に出会いました。文系も理系も両方好きだった私にとっては、両方が交錯する理想的な分野でした。そこからこの分野の研究に身をおくことになりました。


短期的とはいえ、小説家志望だったということですが、どんな作家がお好きだったのですか?

小学生の頃の愛読書はジュール・ベルヌの『海底二万里』でした。あまりに何度も読み返したので、自然にほとんど暗記していたくらいです。難破して、世界中の海底を巡ることになる海洋生物学者の話ですが、私の想像力を捉えて離しませんでしたね。今考えると、あの本の登場人物を通して、今の私の研究に関係が深い19世紀のヨーロッパの「教養の概念」というものに触れたのかもしれません。


研究を続けていくうえでの転機というのはありましたか?

一つめは大学の授業で『狂気の歴史』を書いたミシェル・フーコーという学者を知ったことです。「これこそが、本物の学者の本物の洞察だ!」と感激しました。同時に大学の教壇に立っている先生たちに出会えたことも財産でした。「これが本物の教養であり、学問の園だ」と尊敬の念を抱きました。

二つめの転機は、大学を卒業して留学したときに訪れました。ロンドン大学の大学院に留学したのですが、そこで出会ったのがロイ・ポーターという学者です。この出会いは、私の人生で最大の転機でした。彼と話していると、自分が何を知らなかったか、何に気づいていなかったか、それを鮮やかかつ的確に気づかせてくれる。「この問題はこんなに重要なのに、隠れているんだよ」と。

彼の元で論文を書くようになって、まだ2,3ヶ月しか経っていない頃にこんなことがありました。私が書いた「狂気の定義」に関する論文で、彼の持論に反論する意見を述べたのですが、彼は、慣れない英語で書いた、右も左も分からない私の拙い論文を激賞してくれ、「君の言いたかったことはこういうことだよね」と言いました。彼の言葉でそう表現されると、私の発見が学問的にスリリングな問題に変わったのです。彼には、学問の世界で通用するための基本を教えてもらったと思います。彼は50代で亡くなったのですが、今でも彼との時間を思い出すと目がうるんでしまいます。



 

時代のメカニズムとともに変わる狂気の定義

狂気の定義についての論文を書かれたということでしたが、そもそも狂気というのは歴史的にどのように定義されてきたものなんでしょうか?

17、18世紀にかけて、狂気の定義というのは2段階あるというのが定説でした。その2つの定義のうち、どちらに重きをおくかで、当時の学者の間では論争がありました。例えば、(1)窓の外にいるはずのないものが見える、という「視覚的錯覚」の段階。そして、(2)それが実在すると信じる、という「判断力の錯覚」の段階です。

この時代には、キリスト教の教義の根幹として、霊魂は不滅であるからそれが損なわれることはないという「不滅の霊魂」という考え方がありました。霊魂が損なわれるのは教義と矛盾するので不都合だという宗教的な事情があって、「視覚的錯覚」の段階を重要視していたわけです。つまり、狂人も霊魂の機能である判断力はまったく狂っていない、それを受け取った伝令(想像力)が間違えて情報を伝えているのである、という理論です。この理論だと、霊魂の機能が狂わないわけですから、霊魂不滅の教義に抵触しません。


17、18世紀頃には、キリスト教の教義的な価値観を守りつつ狂気を定義していたということですね。それが変化していくのはいつ頃ですか?

18世紀半ば以降と言えるのではないかと思います。その時代には、医者たちが、霊魂ではなく「精神と呼ぶことができるもの」を問題にするようになっていったからです。精神の機能であれば、それが狂っても霊魂そのものとは無関係ですから、不滅の霊魂の概念とも共存できます。その後、キリスト教を積極的に守ろうとしている医者たちも、「視覚的錯覚モデル」から離れていく。一方、キリスト教から距離を置こうとしている医者たちも同じように「視覚的錯覚モデル」から距離をとっていきました。

すなわち、精神病は人間の本質(霊魂)を侵さないと考えるパラダイムから、精神病においては人間の本質(精神)が侵されると考えるパラダイムへの移行があったわけです。18世紀後半から19世紀初めの、この変化が起こった時期が、近代の精神医学の誕生と言っていいと思います。

それとまったく並行して、同時代の人々は、これまでの狂人の取り扱い方があまりに非人間的であったことに気づいていきます。これまでは鎖でつないで、牢屋に閉じ込めていたのですから。そういった非人間的な扱いを改め、もっと人間的に、病める苦しむ人間として扱おうというさまざまな運動が、精神科医などが中心となって展開していきました。理論においては精神病を人間の本質の喪失として捉え、実践においては患者をより人間的に扱うことをめざす、正反対の方向をかかえて近代の精神医療は始まりました。

狂気についての基準ですが、どの時代にも、「こういう基準を満たせば狂人である」という基準があったわけではありません。実在したのは基準ではなく問題とその解決法です。通りに出て騒ぐとか事件を起こすといった、具体的な事件を起こし、精神病患者とする「必要があったから」、つまり、社会やその時代の人間たちが、必要に迫られてだれかを「狂人」「精神病患者」であると決めることが、科学としての厳密性と普遍性をめざした精神医学に対して優越していました。

狂気を定義するには、「どうやって生きているとまっとうな人間であるか」という判断をする必要があるわけです。結局のところそれは、「時代がどんなメカニズムを持っているか、また、時代がそのメカニズムを使う必要があるかどうか」ということによって決まると言ってよいと思います。




 

情報が病に形を与える「ループ現象」

先ほど、17〜19世紀初め頃までの歴史について伺いました。その時代と比べると、今の社会は非常に変化していると思います。社会が変化していく中で、狂気の定義も変わっていくのでしょうか?

もちろん変わると思います。もっとも鋭敏に変わるのは妄想の内容です。例えば、かつては神や悪魔についての妄想が多く、ラジオが出現したら、ラジオに関する妄想が増えるといった具合に、社会は思考にツールを与えるわけですから。考えたりコミュニケーションしたりするさまざまなツールが出現したことで、妄想の内容も変化していると言えるでしょう。

もう一つのより重要な側面は識字率が高まり、情報が溢れる時代になったことによるものです。「ループ効果」と呼ばれる現象があるのですが、これは例えば、ある患者がある症状を示したとします。そのことを医者が医学書などで報告をして、それを潜在的な別の患者が読んだ場合、同じ症状を示す、というような現象です。病気になるなり方を医学を通じて学習してしまうのですね。歴史上、ループ現象は起きていて、現代でも起きている可能性はあります。現代は医学的な啓蒙活動もどんどんされるようになり、精神病、神経症、うつなどについての知識が一般に知られており、人々もその情報を求めていると思います。その意味では、現代においてループ効果は強くなっていると思います。

もちろん、私たちは「知は力なり」と信じて情報公開をしているわけですが、場合によっては「病に形を与えてしまう」こともあるのではないかと思わざるをえません。我々学者としては、単純に「知は力なり」ということだけを信じて人々に情報を伝えてもよいものなのか。ループ効果を念頭におき、自問自答しながら冷静に見つめていかねばならないと思っています。


それでは、「現代はこれだけ精神病患者が増えている」、というように数値化することはできるのでしょうか? そして、可能だとしたら、増えているとお考えでしょうか?

よく聞かれますが、これは本当に難しいですね。「分かりません」と言い切ってしまうのも何ですので、確実に分かっていることをお伝えしましょう。

現代では統合失調症などが精神病の代表ですが、今から約70年前には違いました。当時の精神科医にもっとも恐れられていた精神病は、梅毒性精神病の「進行麻痺」でした。梅毒によって中枢神経を侵された結果、廃人のようになってしまい生き恥をさらす、と非常に怖がられていた病気です。これが戦前の日本の入院件数などではもっとも多いということが記録から分かっています。この病気は、戦後、梅毒自体がペニシリンを用いることによってかなり抑えられ、また、放っておいて中枢神経まで至るということが減ったため、ほぼ完全に制圧されました。これは、長い目でみると精神医学界にとっては大変明るいニュースだと私は思っています。統合失調症の原因が分からないとか新型うつ病が増えているとか、あまり悲観的なことばかり言わないで、進行麻痺の克服を喜ぶ長い視点を持ちたいですね。




 

歴史を研究することは、人間を研究すること

先生の今後の研究の目標があれば教えてください。

まずは、日本の精神医療の歴史の研究の水準を上げることが私の学者としての使命だと思っています。例えばイギリスの研究者たちが使っている手法の導入や、カルテなどに代表される資料の質の向上を目指していきたいと思っています。

精神医療というのはたいへん複合的な概念です。例えば、ある精神病の患者がいたとして、その人が自分で診察に来ることはほとんどなく、多くは家族、場合によっては警察が連れてきて初めて、医者の前に来るわけですよね。イギリスの場合はそれが救貧法の役人だったりもします。どの行政の流れで連れてこられたかによって、医者と患者の出会い方、そして精神医療が行われる舞台が明らかに違うわけです。私たち歴史家が使うもっとも強力な資料はカルテですが、カルテにはその患者がどういう背景で連れてこられて、どういった問題があるか、例えば警察の関与があったかどうか、などの社会的背景についての情報も埋め込まれています。

このように、いろいろな立場の人が協力して、場合によっては患者自身も協力して、初めて精神科の臨床と精神医療が成り立ちます。このことから、精神医療とは、高度に複合的な概念であると考えているわけです。こういう考え方は、イギリスなどでは社会に浸透しているのですが、日本ではまだこれから。私の歴史研究がそのような事実に対する意識を高められれば歴史家冥利につきます。

 

いま、私は戦前に東京にあった精神病院、「王子脳病院」についての研究をしています。のべ6000人のカルテが残っているんです。これは当時の日本の精神病患者の人生の記録であり、一人一人の人生の、小さな悲劇から大きな悲劇までを克明に記録した、深く胸を打つ資料です。この人生を作り出した患者の個人的な事情、家庭の事情は何か。そこには同時に精神医療行政と、精神医学も関与してくる。それぞれの患者の人生の悲劇と、医学が志向していた科学性と、行政の努力、これらを抱き合わせ、科学、文学、行政、この3つの視点を使った歴史書を一冊書いてみたい。これは、小説としても読めるようなものにしたいとう希望も持っています。

 


少年時代に、一時期小説家になりたかったという先生にとって、研究の対象というのは、やはり「文学」、そして「人間」なのですね。

歴史というのはやはり科学であっても社会であっても人間が作るものですから、確かに一貫して私の研究の対象は人間ですね。それに、文学というのは、人間を理解するもっともよい手段だと思います。学問の道を志して以来、文系、理系を横断して研究を続けてきました。例えば自然と人間と社会、この3つのうちどれが好きかと問われたら、私はやはり「人間が一番好き」と答えるでしょうね。


 


インタビュー聞き手

慶應義塾大学 文学部 教授 神崎 忠昭 / ライター 薗 美冬


プロフィール

鈴木 晃仁
鈴木 晃仁(すずき あきひと)
慶應義塾大学 経済学部 教授


1963年12月生まれ。1986年3月東京大学教養学科(科学史科学哲学)卒業。1988年東京大学大学院総合文化研究科(地域文化研究)修士課程修了。1992年ロンドン大学ウェルカム医学史研究所Ph.D.(博士)取得。ロンドン大学ウェルカム医学史研究所リサーチ・フェロー、アバディーン大学トマス・リード研究所リサーチ・フェローを経て1997年より慶應義塾大学経済学部助教授に就任。2006年より現職に就任。

学びのタネ

 

●映画「インセプション」
http://wwws.warnerbros.co.jp/inception/mainsite/
人の心の中に入って、夢を操作しようという「精神医療の根本」が、この映画にはあります。

 

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