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トップページ > 学問のすゝめ21 メルマガ > vol.27 坂上 弘

学問のすゝめ21 メルマガ

「学問のすゝめ21 メルマガ」では、現在の慶應義塾の「知」を発信するとともに、皆様とともに「学ぶ」楽しさを再発見するきっかけをご提供できればと考えています。

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人間が積み重ねてきた文学を通して「個」と「他」を見つめ続ける

 



協力:年表共有コミュニティ
年表例:福沢先生

「私にとって、文学は趣味ではありません。生きていく力そのものなのです」と語るのは、小説家であり、現在は慶應義塾大学出版会の会長も務める坂上弘氏。慶應義塾大学文学部に在学中から「三田文学」に作品を発表し、会社員として長年勤務しながら作品を発表し続けた。折しも今年は「三田文学」の創刊100年にあたる。10月25日から開催される「『三田文学』創刊100年記念イベント」の見所も交え、坂上氏にお話を伺った。
(インタビュー:2010/10/6)

 

< 目次 >



文学を切望した青春時代

坂上さんは、長年にわたって文学の道を究めて来られましたが、この道を志したきっかけはなんだったのでしょうか。

文学といっても広いですが、私の場合は小説ですね。小説の世界に自分の求めるものがある、と思ったのは高校生時代です。都立日比谷高校に通っていたのですが、周りに文学に興味を持つ友人がとても多かったのです。かつての、いわゆる府立一中時代からの伝統なのでしょうか。文学者になる者も多かったし、別の道に進む者、例えば数学者になる者も物理学者になる者も、文学を読むのは至極当たり前、という雰囲気がありました。

そのような空気のなかで、具体的なきっかけといえば、高校生時代に仲間がやっていた同人誌に小説を書かせてもらったことですね。いわば「環境が書かせてくれた」とでも言いましょうか。


高校生時代には、どんなものをお読みになっていたのですか?

外国のもの、日本のもの、なんでも幅広く読みました。「目につくものはすべて読んだ」と言ってもおかしくないくらいです。戦争が終わった空気が残っている時代でしたから、どんなものであれ、「本が出る」ということ自体が喜びでした。ドフトエフスキーの全集が出たときなど、感動的でした。


戦争を体験されていますが、そのことはどのように影響していますか?

私は空襲を9歳の頃に体験しています。これはすごい体験ですよ。予想もしていないときに突然、生命の平和が破られ、敵の直撃を受けるのです。自分の言葉で恐怖を埋めたくても、言葉自体がない。理屈抜きで、文学をやらねばならない、そう感じたのでしょうね。戦争に行って帰ってきた「復員世代」の作家たちは、すでに大人になっていたし、語るべき言葉を持っていたのではないかと思いますが、私たちの世代は、文学というものなしでは生きていけない。教養よりももっと切実な、食べ物を欲するような欲望で文学を欲していたのだと思います。



 

垣根を作らない「三田文学」との出会い

日比谷高校を卒業後、慶應義塾大学文学部に入学されました。そこで「三田文学」と出会ったわけですね。

出会ったというよりは、気がついたら引っ張りこまれていたんですが(笑)。私が同人誌に書いた文章を、「三田文学」の編集をしていた山川方夫が目に留めてくれ、編集部に来いという葉書を送ってくれたのが出会いです。それまで私は小説家になろうとは思っていなかったですね。山川は私より7歳年上ですが、大学院生でした。じつに大人で文学のことなら何でも知っていました。そして私のことは弟分のようにかわいがってくれました。山川や、三田のソウソウたる小説家や詩人たち、北原武夫、丸岡明、村野四郎、山本健吉といった文人のおかげで私はとてもいい文学への入り方ができたと思います。


大学を出て就職されたというお話が出ましたが、就職することについて迷ったりはしなかったのですか?

私の場合、文学は趣味ではないのです。これは山川と出会ったときに心に決めた道でした。どんな職業についても創作ができないということはありません。さきほどの、文学の先輩方もほとんど「二足のわらじ」をはいていました。「三田文学」の作家たちはそうです。職業を持ち、社会とつながりを持ちながら文学を続けていく。そのおかげで、ものの考え方が、なにかに縛られることなく自由でいられるのです。「三田文学」を創刊した永井荷風からして、大学の先生をしながら編集をしていましたし、のちにいったん休刊となっていた「三田文学」を再興した水上瀧太郎は、明治生命を背負って立つ実業家でありながら、創作活動を行い円熟期を目前にして倒れました。「二足のわらじ」は、もしかしたら「三田文学」の伝統と言えるかもしれません。垣根を作らない、大きな容れものというべき文学雑誌なのです。


会社での経験も作品を豊かにされていたのでしょうね。また、お勤めになりながら文学作品も書かれるという生活では、大変お忙しかったのではないかと思うのですが、時間の工面はどのようにされていたのですか?

就職したリコーでは、定年までいたのですが、高度経済成長を迎えつつある時代に、海外との仕事に多く携わってきました。まだ海外に行く人などほとんどいない時代でした。「グローバル20」という目標を立て、20カ国の人々と最低1家族ずつ、家族ぐるみで付き合いを持とうという夢をもちました。家族ぐるみで、というところが大切なんですよ。そうでないとその国の不断着の文化は分かりませんからね。そうして知り合った外国の人たちは、「二足のわらじ」を誉めてくれました。英語では「二つの帽子」という表現をしていましたが。

書く方には、時間は、それほど使っていなかったんだと思います。本当にやりたいときは、なんとしてでもやりますからね(笑)。



 

「個」と「他」に対するまなざし

坂上さんの作品は私小説というジャンルでくくられることもありますが、坂上さんの体験したエピソードを連想させるものもあれば、そうでもないものもあるように思います。坂上さんの人生と小説は、どういう距離にあるのか、教えていただけますか?

そうですね、日本では私小説と呼ばれた小説群があるわけですが、どこを指すのか定義しないと話が進まないですね。小説家は自分が体験しないことがらを書くことはできない、ということから、私は、広い意味では、ほとんどの小説は私小説である、という証明の過程だと思っています。言い方を変えれば、自分として責任を持てるものを抽出したもの、それが私小説と言えるのではないかと思っています。私が書くものは私小説もあり、そうでないものもあります。なにが私小説なのかという議論は作家仲間でもよくしていましたが、山川にも「きみは生まれながらの小説家だから、何やってても小説になっちゃうね」と言われたりしましたね。


文体については、意識して作られてきたのでしょうか?

当然、文体は人によってずいぶん違います。私は韻文というのが得意ではなくて、散文の形が一番しっくりきます。人にも会社にも、「三田文学」にも、いわば文体というものがあります。スタイルと言い換えてもいいかもしれません。自分の文体を持たないと、自分の思想は持てない。こういうことを文学をやるうえでずいぶん気をつけて来ました。


坂上さんの作品や対談などを読ませていただくと、「個」と「他」に対する深いまなざしを感じます。また、「個人主義」という言葉を大変重要視されていらっしゃるように思いますが、この言葉について説明していただけますか?

夏目漱石が学習院の学生に向けて説いた「私の個人主義」という文章について、私が語った部分ですね。「個性を認め合うことが大切である。それは同時に他者を中心に自分を考えることで、じつは寂しいことでもある」という話です。漱石が言っているのは個性、つまりパーソナリティーがいかに大切かということですから、私の解釈ではこれは「個性主義」。こういう英語はないと思いますが「パーソナリティズム」とでも言うべきもので、これは本当の意味での「個人主義」、「インディビジュアリズム」とは違うのではないかと思うのです。


私が指摘したいのは、海外の人の言う「インディビジュアリズム」と、我々日本人の言う「個人主義」は必ずしも同じではないと理解することが大切だということです。どちらがいいとか悪いとかではなく。

確か福澤諭吉先生も「文明開化によって大人として成熟すれば、寂しくなる」というようなことを言っておられたと思います。

 

情感豊かな文学の力を信じたい

「三田文学」は今年で100年を迎えますが、坂上さんにとっての「三田文学」とは?

私が「三田文学」に出会った頃というのは、昭和29年、山川や、山川をかわいがっていた編集委員たちの時代でしたが、私のような若者も子供扱いしない、他人をないがしろにしない、という気概がありました。文学者というものに怖い印象を持っていた私に、そういう世界ならそこで生きてみたい、と思わせてくれました。


それから約50年、私も「三田文学」と関わってきました。創立から今日まで、ずっとつながっている伝統のようなものがあります。まずは、「三田文学」は商業主義ではないので、なにものにも縛られない。独立採算ですから、財政的に他者に迷惑をかけることになったら休刊する。ですから今までに7回休刊して、復刊しています。また、派閥を作ってはいけない。慶應義塾にも通じる面があるかもしれないと思いますが、そういうことを「三田文学」はずっと初期から知っていたのです。


今年10月25日から11月7日まで開催される「『三田文学』創刊100年展」では、新人を大切にする、公の器がある、独立採算である、といった「三田文学」の特筆すべき歴史を分かりやすく見てもらうつもりです。

 


小説を作り出す、あるいは編集する立場の坂上さんとしては、読者に小説をどのように楽しんでもらいたいと思いますか?

それはもちろんそれぞれ、多様な楽しみ方を見つけて欲しいと思います。ストーリー展開を楽しむことは、一般的に広く受け入れられていますし、それもいいと思います。一方、書く立場としては、例えば「少数でもいいからこういうテーマを求めている読者に向けて書いているんだ」という気持ちもあります。そういう作品を求めているシリアスな読者もいますから。小説にはたくさん種類がありますし、さまざまな楽しみを持ってもらえたらいいのではないでしょうか。


今まで坂上さんと文学について伺ってきました。文学の力というのはいくつかあると思うのですが、坂上さんにとってはどんな力を持ったものなのでしょうか?

やはり文学は、生きる力をくれるものではないでしょうか。こんな人もいるのだ、こんなこともあるのだ、と分からせてくれる。どれが真実か、とかそういう議論ではなく、ありのままを良しとする。これはつまり、人間そのものが、実は全部フィクションだということを示していることにほかなりません。


生きる関心というのは、他人に対する関心です。文学でいう生き方とは、豊かで美しいものであり、私はそういう豊かな人間の情感を信じています。人間は情感を言葉でつかまえることを積み重ねて歴史を作ってきました。ですから私は、文学とともにいると、落ち着いていられるのです。

 


インタビュー聞き手

慶應義塾大学 文学部 教授 神崎 忠昭 / ライター 薗 美冬


プロフィール

鈴木 晃仁
坂上 弘(さかがみ ひろし)
小説家、慶應義塾大学出版会株式会社代表取締役会長


1936年2月東京生まれ。1954年慶應義塾大学文学部哲学科入学。在学中、山川方夫の推輓で「三田文学」に作品を発表、芥川賞候補となる。56年11月号から1年間、江藤淳と三田文学編集担当。59年「ある秋の出来事」で中央公論新人賞受賞。60年慶應義塾大学文学部哲学科卒業後、理研光学工業株式会社(現株式会社リコー)入社、文学活動も続ける。95年リコー退社、慶應義塾大学出版会株式会社代表取締役社長に就任、現在同社代表取締役会長。2000年三田文学会理事長、2006 年日本文藝家協会理事長、2008年日本芸術院会員に就任、現在に至る。 1981 年芸術選奨新人賞、1992年第43 回読売文学賞および芸術選奨文部大臣賞、 第45 回野間文芸賞、1997年第24 回川端康成文学賞を受賞。2004 年紫綬褒章受章。 主要著書は『ある秋の出来事』(中央公論社1960年)、『優しい碇泊地』(福武書店1991年) 『田園風景』(講談社1992年)、『台所』(新潮社1997 年)、『近くて遠い旅』(中央公論社2002 年)、『眠らんかな』(講談社2003 年) 等

学びのタネ

 

●三田文学創刊100年展

http://www.muse.dti.ne.jp/~mitabun/event0.html

開催期間:10月25日(月)〜11月7日(日)
開催場所:慶應義塾大学三田キャンパス図書館旧館 大会議室
午前11:00 〜 午後6:00 土日も開催
「三田文学」100年の歴史を近代日本文学と慶應義塾双方からとらえ、新しい切り口によるテーマで提示します。入場無料・申込不要。


●「三田文学」創刊100年シンポジウム(事前申込制)

@講演と朗読「西脇順三郎」(詳細はこちら
・新倉俊一氏「西脇順三郎アーカイヴの誕生」
・石坂浩二氏「西脇順三郎を読む」

■日程 10月30日(土) 13:00より
■場所 慶應義塾大学三田キャンパス 北館ホール


Aシンポジウム「文学・批評・翻訳」(詳細はこちら
<基調講演>
・亀井俊介氏「三田の英文学」
<シンポジウム>
・末延芳晴氏「永井荷風の見た/聴いた『あめりか』」
・新島進氏「越境と翻訳―ダイ・シージエ作品の日本語訳をめぐって」
・吉田恭子氏「『三田文学』とクリエイティブ・ライティング」
 総合司会 巽孝之氏
■日程 11月6日(土) 13:00より
■場所 慶應義塾大学三田キャンパス 北館ホール

 

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