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トップページ > 学問のすゝめ21 メルマガ > vol.28 杉本 芳一

学問のすゝめ21 メルマガ

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分子レベルからアプローチする 抗がん剤治療の現状と未来とは

 



協力:年表共有コミュニティ
年表例:福沢先生

今、日本人の2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで亡くなるという(平成21年厚労省発表「がんに関する統計」より)。私たちにとってこんなにも身近な「がん」という病気の正体は、いったいどんなものなのだろうか。抗がん剤研究がご専門の杉本教授に、抗がん剤治療の現状と今後の展望について伺った。
(インタビュー:2010/11/15)

 

< 目次 >



分子レベルで解明される、がんのメカニズム

そもそも、がんになるとき、私たちの体の中ではどんなことが起きているのでしょうか?

がんを一言でいうと、正常な細胞が何かしら変化する遺伝子の病気です。私たちの体には、細胞を増殖させようとする遺伝子と、その増殖を止めようとする遺伝子があります。成長期やケガの回復期などには細胞が増殖し、その必要がなくなると増殖は止まるというように、通常は増殖がコントロールされた状態になっているわけです。ところが、がん細胞では、増殖させる遺伝子ばかりが元気になり、増殖を止める遺伝子が働かなくなってしまうことで、制御不能となりどんどん勝手に増殖していきます。つまり、がん遺伝子が活性化し、がん抑制遺伝子が不活性化したときに、がんになるということです。


遺伝子の突然変異ということですね。その突然変異はどんなメカニズムで起きるものなのですか?

体内の細胞ではさまざまな要因で突然変異がたくさん起きているのですが、通常はそれを治そうとするいくつかのシステムが働きます。異常を見つけると、遺伝子の複製や細胞分裂をやめて変異を修復したり、あるいはアポトーシスといって自分を殺してしまったりします。その結果、ほとんどの場合で変異した細胞はなくなります。がん細胞ではそうした防御システムが破綻しているものも多いです。


発がん性のある要因としては喫煙がよく知られています。同じように喫煙していても、がんになる人とならない人がいるのはどうしてなのでしょう?

ヒトの遺伝子の塩基の数は全部で30億個くらいですが、たとえば肺がんの原因としては、RASというタンパク質の12番目のアミノ酸に相当する塩基のひとつに変異が起こると肺がんになりやすいと言われています。そこにちょうどタバコ由来の変異原物質がくると変異が起こります。タバコをたくさん吸えば吸うほど、そこがやられる確率は高くなるということになります。こうした遺伝子異常が積み重なって肺がんになります。がんになる人とならない人がいるのは、確率の問題、体質の問題などがありますね。

がんの種類ごとに、どの遺伝子が関係しているかのメカニズムがわかってきているということですね。それはどのぐらい解明されているのでしょうか?

がんに関係する遺伝子は1000個くらいあるといわれていますが、すべてが解明されているというわけではありません。わかってきたものだけでも、そのパターンはとてもたくさんあります。たとえば、血液のがんの一つである慢性骨髄性白血病はBCR/ABLという1種類のがん遺伝子が原因となっています。一方、急性骨髄性白血病の場合は何種類もの原因があることがわかっています。

また、肺がんの一部では、その要因や、がん細胞を増殖させるための主要なモーターが何であるのかということがわかってきています。現在肺がんの種類は、病理での見た目により、腺がん、扁平上皮がん、大細胞がん、小細胞がんと分けられていますが、その中の腺がんと呼ばれるものの中で見ても、その主たるモーターとなる分子には、EGFR、RAS、RAFなどがあります。この違いががんの増殖性や薬の効果に関係しています。いずれはそれぞれのがんの原因となる分子によってがんが分類される時代が来ることでしょう。



 

分子標的治療薬の登場が、がん薬物治療を大きく変えた

がん細胞のメカニズムが解明されたことは、がんの薬物治療にどんな変化をもたらしているのでしょうか?

一番最初に作られた抗がん剤がもともとは毒ガスの成分だったことが示すように、従来の抗がん剤はがん細胞だけでなく正常な細胞にも毒性を示すという問題がありました。そのため、患者さんのがんをなくすのに十分な量の抗がん剤を投与できなかったり、強い副作用に悩まされたりします。しかし、最近の抗がん剤は一歩進んで、正常細胞とがん細胞の違いを解明することで、がん細胞だけに特異的に効く薬を開発しようという研究が行われるようになってきています。

たとえば、先ほど慢性骨髄性白血病の原因はBCR/ABL遺伝子であるとお話ししましたが、これの働きを止めるものとしてイマチニブという薬が開発されました。これはがん細胞に特異的に現れるBCR/ABLに対して働き、正常細胞への毒性はかなり低くなります。このような、あるがん細胞に特異的にみられる分子を標的とした薬を、がん分子標的治療薬と呼んでいます。

昔の抗がん剤が「メカニズムを気にせずに、とにかくがん細胞を殺す」というものだったのに対し、がん細胞の中の「この分子を阻害する」と最初から標的を定めるのが、この分子標的治療薬なのです。実際には標的とする分子は必ずしもがん細胞特異的なものばかりではありませんが、特定の分子を標的とすることにより、従来の抗がん剤よりも有効なものがたくさん出てきています。


分子生物学の進歩によって解明されたメカニズムから、合理的にがん細胞をたたく薬が開発されているということですね。

より効率的にという意味では、最近バイオマーカーというものが注目されています。同じ薬でも人によってその効果や副作用の出方は異なるのですが、それをがん細胞や正常血液細胞の中に含まれる遺伝子やタンパク質などの個人差を明らかにすることによって解明しようというものです。

バイオマーカーを利用した治療法では、昔からよく知られているものとして乳がんへのホルモン療法があります。あらかじめホルモン受容体があることを確認した人にだけ抗ホルモン剤を投与する治療法です。最近では、やはり乳がん用の抗がん剤としてハーセプチンという分子標的治療薬があって、これはHER2というタンパク質のある人にのみ効果があります。また、肺がんの治療薬であるイレッサの場合、EGFR(上皮成長因子受容体)というタンパク質の中のある決まった場所に変異を持っている人に対してよく効くことが分かっています。このように、特定のタンパク質の有無、あるいは特定のタンパク質の変異の有無などを調べることが、その患者さんへの治療で効果があるかどうかに直接つながるのです。

こうしたものを活用して患者さんごとにその薬の効果と副作用を検討し、一人ひとりに最適の医療を提供するテーラーメイド医療という考え方も広まってきています。ただ、こうしたことが分かっているがんというのは、残念ながらまだそれほど多くはありません。いずれは、すべてのがんで分かるようにというのが、大きな目標ですね。


ところで、先生は「薬剤耐性」というテーマをご専門にしていらっしゃいますよね。これは、どういうものなのでしょうか。

簡単にいうと「なぜ薬が効かないか」を調べるものです。最初は効いていた薬がだんだん効かなくなるという問題です。がんの場合で言うと、抗がん剤を投与してがんが小さくなったとしても、ある期間が過ぎると効き目がなくなって、がんがまた大きくなってくることがあります。そうなると、その薬はもう使えないので別の薬を使わなくてはなりません。そのため、進行がんの治療では効果のある薬が次々に使えなくなって、患者さんはどんどん苦しくなっていくのです。

薬剤耐性のメカニズムとして私が主に研究しているのは、薬を細胞の外に排出してしまうトランスポーターというものです。人間の体には、たとえば腎臓や肝臓から毒物を排出するタンパク質などのように、排出ポンプの働きをするものがあります。尿酸を体の外に出すとか、副腎皮質から副腎皮質ステロイドを体の中へ送り出すとか、そういうものの輸送に関わるタンパク質などです。その細胞外、体の外への排出に関わるタンパク質が抗がん剤も排出してしまうことがあり、これががん細胞の表面にたくさんできると、抗がん剤が外に出るので効かなくなってしまいます。P-糖タンパク質、BCRPなどが抗がん剤耐性に関係するトランスポーターです。一方、これらのトランスポーターは、抗がん剤の副作用にも関係しています。たとえば、患者さんによっては生まれつきBCRPのタンパク質の量が少なく、そのために抗がん剤が体外に排出されずに副作用が強く出る、ということもわかってきています。



 

がん治療の目的は、治癒、延命、そして症状や副作用の緩和

昔と比べて、がんにかかる人の割合は減ってきているのですか? また将来的に減ることは期待できるのでしょうか?

がんにかかる確率は年齢が上がるほど高くなるので、高齢化社会になれば、必然的にがん患者の数は増えます。ただ、たとえば40歳の人ががんにかかる率というのはそんなに変わっていないと思います。また、がん化する確率とは別に、早期発見や外科手術も進歩して治療の成功する率が上がっているので、がんになっても生き続ける人は増えていますね。


がん患者として生きることを考えると、QOL(Quality of Life=生活の質)も重要な問題になってきますよね。

がんは再発することがありますので、薬だけでがんを治癒させることは困難です。でも、がん治療の目的というのは、必ずしも治癒だけではありません。延命や症状の緩和というのも大事です。痛みなどの症状を緩和したり、抗がん剤などの副作用を軽減したりするのを支持療法と言いますが、それによって少しでも動ける、歩ける、話ができる状態を維持することも、とても大切だと思います。あとは、がんになった後、社会がどうそれを支えていけるのか。そういう問題もあるでしょう。


今日のお話から、分子生物学の進歩によって抗がん剤が大きく進化していることがわかりました。今後は、がん治療はどのように変わって行くのでしょうか?

基本的には今のスタンスは、まだ始まったばかりです。画期的な分子標的治療薬であるイマチニブが出てきたのが2000年頃で、その後イレッサなどさまざま薬が出てきて、ここ数年間は、大手の製薬会社がこぞってがん治療薬の研究をしています。

同時に、副作用に対するケアもかなり進んできています。抗がん剤といえば吐き気がするとか毛髪が抜けるといったイメージがありますが、そういうものばかりではなくて、特に分子標的治療薬では、副作用は従来の抗がん剤よりずっと軽いものが多いです。効果の期待できる薬が開発されるのはもちろん、副作用のために治療が続けられないという患者さんも減ってくるはずです。いずれにしろ、治療は進化していますから、「がん治療はこれからもどんどんよくなっていく」と言うことは間違いないでしょう。

 

 


 


インタビュー聞き手

慶應義塾大学 文学部 教授 神崎 忠昭 / ライター 永井 祐子


プロフィール

杉本 芳一
杉本 芳一(すぎもと よしかず)
慶應義塾大学薬学部教授


1957年 静岡県に生まれる
1980年 東京大学・薬学部薬学科卒業
1985年 東京大学大学院・薬学系研究科・博士課程終了(薬学博士)
1985年 癌研究会・癌化学療法センター基礎研究部・研究員
1992年 米国国立癌研究所細胞生物学研究室に留学(2年間)
1994年 癌研究会・癌化学療法センター基礎研究部・主任研究員
1995年 癌研究会・癌化学療法センター基礎研究部・副部長
2000年 癌研究会・癌化学療法センター分子生物治療研究部・部長(〜2005)
2004年 共立薬科大学・薬学部・化学療法学講座・教授(〜2008)
2005年 癌研究会・癌化学療法センター・遺伝子治療研究室・室長(〜現在)

2008年 慶應義塾大学・薬学部・化学療法学講座・教授(〜現在)



杉本先生の研究室

学びのタネ

 

ワインバーグ がんの生物学 南江堂
吉田富三 癌の実験的研究と細胞病理学 形成社
吉田富三 吉田肉腫・腹水肝癌と癌の化学療法 形成社
吉田富三 医学の使命・医学と人生 形成社

 

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