トップページサイトマップEnglish site

慶應義塾

トップページ > 学問のすゝめ21 メルマガ > vol.29 光田 達矢

学問のすゝめ21 メルマガ

「学問のすゝめ21 メルマガ」では、現在の慶應義塾の「知」を発信するとともに、皆様とともに「学ぶ」楽しさを再発見するきっかけをご提供できればと考えています。

特集バックナンバー
政治史だけが歴史ではないウマとの関係から見た社会史とは

 



協力:年表共有コミュニティ
年表例:福沢先生

歴史では、古代・中世・近代・現代といった時代区分が用いられることが多い。経済学部専任講師の光田先生は、まったく別の視点から社会の動きを研究している。そのひとつである、ウマを基点とした時代区分とはどんなものなのか。「ウマ」との関係から見た歴史や社会とは、どのようなものなのだろうか。
(インタビュー:2011/1/13)

 

< 目次 >



あえて「当たり前とは逆」のことに挑戦したかった

子どもの頃は、イギリスにいらっしゃったそうですね。その体験は、今のご専門を選ぶのに何か影響を与えていますか?

6歳の頃に日本を離れ、高校を卒業するまでイギリスで暮らしていました。小学校も現地校でしたし、中学、高校は寄宿舎にも入っていました。私の通っていた学校では、昔は生徒会長になると馬小屋が与えられて馬を飼い、敷地の中を馬に乗って闊歩することが許されていたそうです。私の時代には、もうそういう風習はありませんでしたが、その名残として馬小屋や馬場が残っていました。それを見て、馬は権力と密接に結びついているのだということを、肌で感じたものでした。

日本人の感覚としてはわかりにくいですが、イギリスは階級社会の色彩が強い国です。私の中・高生時代も、サッカーで対戦した伝統校から見下されるような経験をしました。そんなイギリス社会において、馬に乗れる人というのは階級や位の高い人というイメージがあり、すなわち馬は権力の象徴でもあるわけです。


現地で高校卒業後、日本に帰国して慶應義塾大学に進学されたんですよね。

イギリスの大学に進む道もあったのですが、迷った末、帰国して慶應義塾大学に進むことにしました。しかし、イギリスでは少人数での教育が当たり前だったので、日本の大学のマスプロ的な授業の中では自分が埋没してしまいそうに感じました。さまざまな面で文化衝突も体験し、「なぜ違うんだろう?」と問題意識を持つようになったことで、本をたくさん読むようになったんです。遊ぶことにばかり夢中になっている日本の学生にも違和感を感じ、サークルや合コンなどにもなじめませんでしたし、その頃は「本が友だち」という状況でしたね。学問のきっかけとしては、その辺がルーツだったかもしれません。

帰国子女の仲間の中には、日本での遊び中心の学生生活に順応した人もいたし、見切りをつけて外国に戻ってしまった人もいました。自分だけが取り残されたようにも感じましたが、それでも私はなぜか日本に対するこだわりが強くて、「ここに居続けたい」「負けてはいられない」という思いがありました。


日本へのこだわりは、どこから来ているのでしょうか?

ひとつには、子どもの頃に親からよく「日本人として、しっかり振る舞いなさい」と言われていたことがあるかもしれません。「日本人として貴重な体験をしているのだから、それをフルに活用しなさい」と。

その影響もあってか、イギリスの高校時代は「外国人にとって敷居の高い科目をあえて選ぼう」と考え、歴史や宗教などを進んで選択しました。語学のハンディから向こうで学ぶ日本人は理系の科目を取るケースが多いんですが、むしろその逆を進もうとしたんです。日本人が苦手と言われる語学にも挑戦しようと、ドイツ語やロシア語も積極的に学びました。「自分がやるべきことは、日本人が不得意と言われる科目をがんばってやることだ」という思いがあったんです。「みんなが当たり前だと思うこととは逆のことをやりたい」という発想は、ある意味学者向きだったのかもしれませんね。



 

社会全体の有機的なつながりを見渡せるもの

その中でも特に、歴史を専門に選んだきっかけはなんだったのでしょう?

慶應義塾大学に入学したのは法学部の政治学科だったのですが、いざ入ってみると、自分がやりたいこととは何か違うなと感じていました。そんなとき、ある出会いが私にとっての転機となりました。入学当初から力を入れていたドイツ語の授業の合宿で出会った先輩が、経済学部の社会史を専攻していたんです。

政治学ではエリートや国家に注目することが中心になるのですが、それに対して社会史というのは、上からの歴史ではなく、いわば下からの歴史です。「歴史を作っているのは上の人間ではなく、一般の民衆である」という社会史の視点に新鮮な魅力を感じました。

そのことがきっかけで、それまで受けてきた政治史中心の歴史観に疑問を持ち、一般庶民の歴史を学びたいと思い、その先輩が所属していた経済学部の矢野久先生の研究室に入れていただくことにしました。そこで主にドイツやロシアの社会史に取り組んだことが、その後の研究につながっています。


卒業後はケンブリッジの大学院に進み、歴史学部でヨーロッパ史を研究されたんですよね。

ヨーロッパでは、歴史は社会の基礎をなす重要な学問として位置づけられています。当時、数学や物理学などではすでに多くの日本人が世界的な成功を収めていましたが、私はあえてそうではない分野に日本人として挑戦したかった。イギリスで教育を受けて育ったという貴重な経験も活かして、むこうの人と対等に張り合って認めてもらうんだという気概もありましたね。

当時、ケンブリッジの大学院のヨーロッパ史専攻にいた東洋人は私1人でした。そんな状況も「どうしてもこれをやらなければ」という思いにつながったのだと思います。つまり、純粋にヨーロッパ史が好きだから選んだというよりは、アンチテーゼを好むという、それまでの自分の生き方と連動して選んだ結果がそうなったということでしょうか。


ケンブリッジでヨーロッパの社会史を学ぶ中で、ウマによる時代区分に思い至るにはどんな経緯があったのでしょうか。

今考えてみると、日本の慶應義塾での教養教育の影響も大きいですね。むこうの大学に入学してすぐ専門的なことをやらなくてはならないので視野が狭くなりがちなのですが、慶應にいた頃は時間的にも精神的にも余裕があったので、いろいろなものに関心を広げることができました。その過程で、食べ物、女性、その他社会のありとあらゆるものに歴史があるのだということ、そしてその相関関係に非常に興味を覚えたのです。

政治学なら政治史、経済学なら経済史というような固定イメージにとらわれず、社会全体がどのように有機的につながっているのか、それをすべて見渡せるものをやりたかったのです。じゃあ、社会全体が見えるモノとは何なのか。何にスポットを当てればいろんな関係性が見えてくるのか。それを求めた結果、行き着いたもののひとつがウマだったわけです。



 

ウマが主役になる競馬は、馬力依存型社会の表象である

より直接的なウマとの出会いとしては、ロシアで見つけた競馬の記事がきっかけだったそうですね。

1900年代のロシアの少数民族による犯罪を研究するために図書館で調べていたときのことでした。ナショナリズムが台頭する中、一般のロシア人は少数民族をどのように見ていたのかを知りたくて、強盗や殺人事件を扱う記事はないか当時の新聞を読んでいたんです。すると、ある日の新聞に「ロシア生まれでロシア育ちの競走馬が初めて優勝した」という記事がありました。ナショナリズムとの関連で興味を持って読み進めるうちに、ふと、「そういえば、競馬というのはなぜウマが主役なのだろう? そもそも競馬とはなんなんだろう?」という疑問が浮かんできたのです。

競馬ではウマの名前が前面に出て、騎手はいわば引き立て役のような存在です。これは他のスポーツや競技にはみられないことです。それにはどういう意味があるのだろうか。そこに関心を持ったことから、ウマに着目した時代区分という研究へつながっていきました。


考えてみれば、ウマは昔から人間の生活にとって密接な関係を持つ重要な存在だったのですよね。

特にヨーロッパにおいて、ウマは都市部でも農村でも軍隊でも、あらゆる場面で活躍してきました。私はこれを「馬力依存型社会」と呼んでいますが、競馬というものも、単なるスポーツや娯楽でなく、そうした「馬力依存型社会」の表象としてとらえることができるのではないかと考えたのです。

たとえば、車の場合で考えてみましょう。F1というレースは、一般の人から見れば華やかなスポーツ・娯楽ですが、実は自動車の最新技術が結集されたものでもあります。F1用に開発された技術が、やがては一般の人が乗る車にも応用され、車全体の進化につながっています。つまり、車社会はF1を頂点としたピラミッドを形成しているのです。

これと同じことが、ウマにもいえるのではないか。ウマの場合はサラブレッドを頂点として、それを種馬として活用しながら、最終的には農耕馬まで血が降りてくる。そんな風に、競馬は社会全体と広く関わっているとも考えられます。それが、私にとって最初の発見でした。



 

現代もなお、馬力依存型社会の延長戦上にある

人間の生活にとってのウマの存在は、歴史的にはどんな変遷を経てきているのでしょうか。

昔の軍用馬は戦線を突破するための道具でもあり、中世におけるウマは農耕馬に近いような重心の低い重くて大きなものでした。そこで求められるのは、体力重視というかある意味暴力的ともいえるようなものでした。それがルネッサンスの頃になると、もっと美しい、技術を駆使することを求めるようになり、新しい馬術やそれを教える乗馬学校が発達してきます。

乗馬学校で教える乗馬は、貴族や政治と密接な関係がありました。そこで主役となるのはウマを操る人間の方です。ウマを乗りこなせる人間は下々の人を統治することもできると考えられおり、いかにウマを上手に操るかは上に立つ人間にとって重要なスキルとなりました。ウマに乗れば自分を大きく見せることもできるので、権力をアピールする格好の手段でもありました。


体力重視の軍用馬としての役割から、権力の象徴としての意義を帯びてくるわけですね。

当時の乗馬学校が目指していたのは、軍用とは別の、平時の庶民を統治するための道具だったのです。軍人ばかりに好き放題させるのではなく、貴族たちの社会的地位を高めるためにウマを利用しようとしたのでしょう。

そこでは、いかに美しく乗るかということが重要で、かつ、誰もが簡単にマネのできないようなむずかしい技術を必要としました。貴族としては、自分たちの特権的な地位を保たねばという危機意識もあったからです。

近代になり鉄砲などの武器が発達してくると、偵察隊として機動性が重視され、軽くて速く走れるウマが求められるようになります。従来中心的な役割を果たしていた騎馬隊も、こうした戦術的な変化により重要度は低くなりました。それでも象徴的な意味での騎馬隊のステイタスは残り続けていて、貴族なら近衛騎兵に代表される騎馬隊に入るべきというような伝統はその後も引き継がれています。


ウマから見た時代区分によると、現代は「後ウマ期」ということですよね。これにはどんな意味があるのでしょうか。

20世紀になり自動車が普及してくると、ウマ社会は自動車社会へと姿を変えました。注目すべきは、ウマが昔のように密接な役割を持たなくなった現代においても、「馬力」という言葉が単位として一般的に使われ続けていることです。競馬で出発前のウマが待機する場所を示す「パドック」という言葉は、F1でも同じように使われていますし、似たような例は他にもたくさんあります。ということは、言語的に見ると、「馬力依存型社会」は今もなお続いていると言えるのかもしれません。

そう考えると、「馬力依存型社会」の変遷は、一般にイメージされるように断絶したものではなく、もっと緩やかな連続性の高いものであるのかもしれません。実は私たちはまだその延長線にいるのかもしれない、という考え方もできるのではないでしょうか。

 

 


 


インタビュー聞き手

慶應義塾大学 文学部 教授 神崎 忠昭 / ライター 永井 祐子


プロフィール

光田 達矢
光田 達矢(みつだ たつや)
慶應義塾大学 経済学部経済学科専任講師


1976年5月 愛知県で生まれる
1995-2000年 慶應義塾大学法学部政治学科
1998-2000年 ボン大学哲学部(史学主専攻)
2000-2001年 慶應義塾大学大学院経済学研究科 (科目等履修生)
2001-2002年 ケンブリッジ大学歴史学部修士課程
2002-2007年 ケンブリッジ大学歴史学部博士課程(英国政府奨学生)
2006-2009年 ケンブリッジ大学歴史学部講師(近現代ヨーロッパ史担当)
2007-2009年 ケンブリッジ大学 クレア・カレッジ リサーチ・アソシエイト
2009年4月より 現職


学びのタネ

 

■スペイン乗馬学校(webサイト) http://www.wien.info/ja/sightseeing/sights/imperial/spanish-riding-school
ルネッサンス期を境に、乗馬は、むき出しの強さを顕示する格闘から、緻密な動きや美しさを競う芸術へと変貌を遂げます。ウィーンのスペイン乗馬学校は、その当時の精神にもっとも近づくことのできる場所です。

■リチャード・J.エヴァンズ著 (佐々木龍馬, 與田純訳) 『歴史学の擁護:ポストモダニズムとの対話』
京都:晃洋書房 1999年 ⇒ 今の歴史研究では、政治や経済を中心に語る傾向が弱まり、多種多様なテーマや現象を扱うようになってきています。そのことが理解できる好著です。

■武市銀治郎著 『富国強馬:ウマからみた近代日本』
東京:講談社 1999年 ⇒ 今日テレビの大河ドラマを通して目にする軍馬はどれも背が高く力強く立派ですが、この印象は正確ではありません。むしろ小柄でひ弱で容姿から農耕馬に近い軍馬が、明治維新以前では支配的でした。「富国強馬」を掲げ西洋から競走馬を種馬として輸入し始めてから日本の軍馬は大きくなっていったのです。

■アルフレッド・W・クロスビー著(佐々木昭夫訳) 『ヨーロッパ帝国主義の謎:エコロジーから見た10-20世紀』
東京:岩波書店 1998年 ⇒ 動物が歴史に与えてきインパクトは必ずしも小さくありません。帝国が勢力を拡大するとき、移動するのは人だけではありません。動物も一緒についていきます。この視点の重要性を訴え、ヨーロッパ人とその家畜や植物が新大陸にもたらした悲劇をこの本では描かれています。

 

特集バックナンバー

vol.30

vol.28

vol.27

vol.26

vol.25

vol.24

vol.23

vol.22

vol.21

vol.20

vol.19

vol.18

vol.17

vol.16

vol.15

vol.12

vol.11

vol.10

vol.9

vol.7

vol.6

vol.5

vol.4

vol.3

vol.2

創刊号