記念式典入口アーチ |
記念式典当日の三田山上 |
創立50年。慶應義塾はこの頃を境として、さらに充実を見せはじめます。1904年には塾歌を制定、1906年には大学院を設置しました。記念式典は三田キャンパスに3000名あまりが集い、盛大に挙行されました。稲荷山傍広場での宴会に続き、東京都心のカンテラ行列も開催。記念事業の一環として、図書館の建設も決定し、1912年に竣工しました。
記念式典当日の三田正門前 |
当日の主な来賓/左から鎌田栄吉元塾長、犬養首相、鳩山文相、秦農相 |
塾員である犬養毅が内閣総理大臣として出席し祝辞を述べた、創立75年記念式典。秩父宮殿下、田中早大総長も迎えて行われ、カンテラ行列や展覧会が花を添えました。しかしそのわずか数日後に総理が「五・一五事件」で凶弾に倒れるという緊迫した世情でした。1934年、日吉キャンパスが開設。1939年には後の理工学部となる藤原工業大学が開校しています。
創立100年記念式典が行われた |
三田南校舎(1959年竣工) |
創立90年を契機として、義塾の教育精神を広め、これによって戦災からの復興の機運を盛り上げようと、1947年、創立90年記念式典を挙行。式典には私学初となる昭和天皇の行幸を仰ぎ、1958年の創立100年記念式典にも参列を賜ることができました。創立100年記念式典は新築された日吉記念館で挙行。テレビで実況放送もされました。
記念事業としては、日吉記念館のほか、三田(南校舎、西校舎など)、日吉(第四校舎)、信濃町(医学部基礎医学第一校舎など)と各キャンパスに新たな校舎を建設。次の100年への布石となりました。
病院新棟 |
日吉記念館で行われた記念コンサート |
創立125年記念式典を日吉記念館で挙行しました。アジアとの連携が重要視されはじめた時代、国際シンポジウム「アジアと日本」を開催し、各国・各界を代表する人物を招きました。医学部付属病院新棟(信濃町)をはじめ、新図書館・事務棟(日吉)、大学院校舎(三田)、高等学校教育棟、体育会山中山荘を記念事業として建設しました。