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耶馬溪(やばけい) 【大分県】
福沢諭吉を育んだ大分県を代表する景勝地、耶馬渓。
 
周防灘にそそぐ1級河川山国川をさかのぼった本支流に位置する渓谷の総称で、奇岩と清流と木々が織りなす景色の美しさから、山紫水明の地として多くの人々に讃えられてきました。
 
現在ではこの一帯を中心に、北九州を代表する霊峰英彦山(ひこさん)などを含めた広範域が耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園として指定されています。
 
耶馬渓の歴史は古く、その名称は江戸後期に活躍した漢学者で文豪、書家でもあった頼水陽(らいさんよう)が渓谷を訪れた際、その美しさに驚嘆し命名されたとされます。
 
耶馬渓は、本耶馬渓、深耶馬渓、裏耶馬渓、奥耶馬渓に大きく分けられ、自然が織りなす四季折々の美しさはもちろん、禅海和尚が30年余りをかけてノミと槌1本で堀り進めたといわれる青の洞門、さまざまな表情をした五百羅漢が安置されている羅漢寺など見どころも豊富です。
 
 














 
福澤旧居・記念館(ふくざわきゅうきょ)) 【大分県】
 
福沢諭吉が幼少から青少年期を過ごしたわら葺きの母屋、自ら修理・改造して勉学に励んだ土蔵が当時のまま保存され、見学することができます(国指定史跡文化財)。
 
また、隣接した記念館には『学問ノススメ』の原本や、諭吉が使った日用品をはじめとした数多くの遺品や、偉大なる業績とその生涯をたどるさまざまな資料が展示、公開されています。
 
時代を越えて今に受け継がれる福沢諭吉の精神が育まれた、「原点」を感じることができる場所です。
 
 






中津城(なかつじょう) 【大分県】
 
大分県と福岡県をまたぎ周防灘にそそぐ山国川の支流、中津川河口沿いに位置する中津城。
 
中津城の歴史は今から421年前、豊臣秀吉の九州平定により黒田孝高(如水)を領主として入国させた1578(天正15)年にはじまり、明治の廃藩置県による廃城まで中津藩主の居城として歴史を刻んできました。
 
海と川に面してそびえる中津城は、城を囲う堀の水かさが潮の満ち引きによって上下することで知られ、高松城、今治城とともに日本三大水城の1つに挙げられます。
 
5層の天守閣と2層の櫓(やぐら)を有した現在の城は、1964(昭和39)年に再建されたもので内部を見学することができ、最上層の展望台からは中津の街並みはもちろん遠くには耶馬の山々が一望できます。そして、城の周辺は中津公園となっており、園内には慶應義塾に学び日本ではじめて洋式歯科を開業した小幡英之助の銅像、福沢諭吉の「独立自尊の碑」などがあります。
 
また、中津市内には城下町として栄えた時代の町名もそのままに、土壁や白壁、格子戸が残る町並みや古寺が見られ、歴史が今に息づきます。中津城は福沢諭吉旧居にもほど近いことから、道を辿れば19歳まで中津で過ごした福沢青年が感じた空気を身近に感じることができるかもしれません。
 






岩国・錦帯橋(きんたいきょう) 【山口県】
 
日本三名橋に数えられ、国内外にその雄姿を知られる『錦帯橋』は、山陽路観光の目玉の一つ。他に例を見ない特異な姿の五連の反り橋が特徴です。
 
幅5m、長さ193.3m、橋面に沿って210m。築城技術を用い、組木の技法を最大限効果的に活用したこの橋は、300年以上の昔に創建されたとは信じられない程、精巧且つ頑丈。またその優麗な美しさは、市民の象徴として愛され続けています。
 
福澤諭吉は、著書「福翁自伝」の中に、船旅の様子を細かく記しており、現在から150年余り前の日本の庶民の船旅がどのようなものだったのかを知る貴重な資料となっています。
下関から大阪へ向かう船旅の途中、船は岩国へ寄港したとされ「錦帯橋を見物した」という一節が「福翁自伝」に登場します。




安芸・宮島(みやじま) 【広島県】
 
松島、天橋立とならぶ日本三景の一つ、安芸の宮島。
 
6世紀末に厳島神社社殿が創建されて以降、時の権力者の庇護を受け島には長く神仏習合の文化が息づいていました。それから1400年余りの時を経て、厳島神社は平安の寝殿づくりの建築美とその歴史を今に伝えます。
 
朱塗りの社殿は潮が満ちるとまるで海に浮かんでいるかのような神秘的な佇まいを見せることで知られ、現在も多くの人々の信仰を集める名社です。また島の中心にそびえる霊峰・弥山には今も豊かな原生林が残され、春には桜、夏を迎えるこれからは新緑がぐんぐん芽吹き、緑がまぶしい季節を迎えます。
 
四季の中でも殊に、もみじが色づく紅葉の季節の美しさは圧巻です。この貴重な大自然と厳島神社の建築美の類い稀な調和が、1996(平成8)年には世界文化遺産に登録され、国内外を問わず、多くの観光客が訪れる日本屈指の観光地です。
 
福澤諭吉も大阪への船旅の途中で、安芸・宮島を見物したという一節が著書「福翁自伝」に登場します。様々な人たちが一緒に乗り合う船の様子が描写され、当時の船旅の様子が偲ばれます。
当時の諭吉は所持金もほとんどないまま船に乗り合わせたようで、「酒を飲みたいが、金がないから安芸・宮島を見物した」と記しています。今から150年余り前の日本では、下関から大阪へ向かう船旅は2週間以上を費やす大変な長旅でありました。
 
 
 

福山・鞆の浦(とものうら) 【広島県】
 
万葉の時代より潮待ちの港として栄えた鞆の浦。
 
船が風と潮の流れを利用していた時代には、瀬戸内海の潮の分かれ目となる鞆の浦には、潮の満ち引きを待つ船が集まりました。そしてこの町では多くの武人、文人、芸術家が交わり、先進的な瀬戸内の歴史と文化が形作られてきました。
 
また日本最古の薬味酒として350年続いている『保命酒』は「鞆の浦」で誕生。江戸時代には、『保命酒』は福山藩の庇護を受け、備後の特産品として全国にその名を広めましたが、幕末には黒船のペリー提督一行の接待に用いられたことでも有名です。
 
そして福沢諭吉も、恩師である適塾の創始者・緒方洪庵の未亡人に鞆の浦の名産『保命酒』を持参していたことが、近年の研究により確認されています。






案内・解説:田所勝彦(H7)   イラスト:石田成子(S53石田氏夫人)