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緒方洪庵誕生地(おがたこうあん) 【岡山県】
 
適塾を開き、福沢諭吉に多大な影響を与えた緒方洪庵は、1810年、現在の岡山市足守市(備中足守)で、足守藩士の三男として生まれました。その生家跡は、江戸時代の陣屋の面影を今でも残している足守の町並みの東北端、足守川と宇野山にはさまれた小高い場所にあります。
 
1927年に吉備郡医師会が中心となって生誕の地に記念碑を、1990年にはブロンズの像が建てられました。この記念碑には緒方洪庵の臍の緒、産毛、そして当時の成人の儀式であった元服の際に落とした頭髪が収められています。
 
 
明 石 (あかし) 【兵庫県】
 
長崎での遊学を経て大阪の適塾へ入塾するため、福澤諭吉は船で大阪を目指します。自らいう「どこの者とも知れぬ貧乏そうな一人旅」(『福翁自傳』より)で、同じ船に乗り合わせた他の客のように、船上で酒を飲んだり、寄港地で観光をしたりすることも我慢しなければならない、まさにギリギリの船旅であったようです。
 
明石に着いた福澤は、「これ以上呑気な船旅の乗客たちとは乗船してはおれぬ!勘定は大阪に着いたら中津の倉屋敷まで取りに来い!」と強気に下船しようとしますが、「ここまでの船賃を清算しろ」という船頭に止められます。懐に払う金を持ち合せていなかったこともあり、抵当に着物を預けるからなどと船頭と押し問答をしていた所を、同乗していた客の「俺が請合う」という一言によって救われ、無事に下船できたのでした。 
 
出発から15日、明石から15里の道のりを大阪へ向けて福澤は歩き始めたのでした。
 
 
 
有馬温泉(ありまおんせん) 【兵庫県】
 
神戸市の北部に位置し、古くから関西の奥座敷とよばれる有馬温泉。
 
道後温泉、白浜温泉とともに日本三古泉としてまた、草津温泉、下呂温泉とともに日本三名泉として讃えられる名湯です。
 
有馬温泉の歴史は古くその名は日本書記にも登場するほど。中でも豊臣秀吉が愛した温泉地として広くその名を知られ、現在の有馬温泉の礎を築いた秀吉の功績に感謝する盛大なお茶会が毎年秋に開催されています。他にも歴史に名を残す多くの人物が訪れており、福澤諭吉も有馬温泉を訪れていた人物の1人としてあげられます。
 
六甲の山々が織りなす四季の表情を楽しみながら、歴史ある温泉街をそぞろ歩きすると、福澤諭吉が心から癒された有馬の風情を感じ取ることができるかもしれません。
 
                            
 
 
福澤先生生誕の地(ふくざわせんせいせいたんのち)) 【大阪府】
 
福澤諭吉は中津奥平藩の士族福澤百助、お順の二男(5人きょうだいの末子)として天保5年12月12日(新暦1835年1月10日)に大阪で産声をあげました。父百助は大阪にある中津藩の長屋敷に長く勤めており、きょうだいともに大阪で誕生しています。
 
諭吉、数えで3つの天保7年6月父百助が不幸にして亡くなり、一家は母に連れられ藩地である中津へ帰ることになります。そしてふたたび大阪の地を訪れることになるのは、長兄の勧めにより緒方洪庵の適塾に入塾することになる1855年、誕生から約20年の月日を経てのことになります。

緒方洪庵との出会い、適塾での学びの日々は諭吉の人生に大きな影響を与えたことからも、大阪は諭吉が近代日本をけん引する人物としての第一歩を踏みだした地と言っても過言ではないでしょう。
 
生誕の地は現在の大阪市福島区1丁目にあたり、1985年1月13日に生誕150年を記念し福澤諭吉誕生地記念碑(中津藩倉屋敷跡地へ移設)の除幕式が執り行われました。時代の流れによる地域の再開発で平成19年末までの約2年間、一時的に収去、保管されていたのも歴史の一部といえそうです。
 
 
 
大阪・適塾(tekijyuku) 【大阪府】
 
幕末における洋学研究の第一人者、緒方洪庵が開いた学塾が適塾です。洪庵はすぐれた蘭学者・医学者であったばかりでなく、偉大な教育者でもありました。適塾の入門者は日本全土から集まり、その数は千人にも達したといわれます。そしてこれらの適塾門下生の中には、すぐれた医学者・蘭学者として出発しながら、やがて明治維新をもたらす政治の動きに身を捧げていった橋本左内や大村益次郎があり、福沢諭吉もその一人。適塾での学問が、諭吉のその後の人生に大きな影響を与えました。また諭吉は急病にかかった際に緒方洪庵の手厚い治療を受けたというエピソードも残されています。
 
適塾は現在も、史跡・重要文化財として、商都大阪北浜のオフィス街に、江戸時代の町屋の姿を留めています。
 
    
 
案内・解説:田所勝彦(H7)   イラスト:石田成子(S53石田氏夫人)