「出逢い隊」に参加して
出逢い隊/西尾真治(平成6年卒)
 
現役山岳踏破隊に山中で出逢いたい、と結成されたOBのパーティ、その名も「出逢い隊」。聖平行きのメイン・パーティは、小屋泊とテント泊に分かれ総勢15名。現役時代に分散集中形式の夏合宿を経験していない私は、卒業後にOBの夏合宿に参加するようになって山中で仲間と出逢う味をしめた。今年は例年にも増してすばらしい出逢いが待っていた。
 
下界では記録的な豪雨が日本列島を襲い、各地に水害をもたらしていた。初日の椹島からの登りこそ奇跡的に雨が上がったものの、聖平に到着してしばらくすると雨が降り始め、夕方には土砂降りになった。いよいよ現役を迎え受ける2日目は、朝から気温が下がり、冷たい雨が強い風に吹きつけられる悪天で、現役が無理をして疲労したり危険な目に遭ったりしていないか心配された。
 
そんなOBの心配などどこ吹く風、まずは易老渡から登ってきた第5班が元気な姿をみせた。さっそく、昭和49年卒の山田さんからお預かりした安倍川餅と熱いお茶で労っていると、ほどなく「若き血」の元気な歌声が聞こえてきて、荒川から聖岳を越えてやってきた第4班が到着した。全身ずぶ濡れのまま、すぐにテントを設営し、冬季小屋で引継ぎ式を執り行う。OBからは、オスタさんの手作り愛情クッキー、ケーキ、グレープフルーツなどの差し入れ品を手渡す。私からもささやかながら、ゼリーを進呈した。
 
第4班は、軽量化のためか、私たちの時代にはなかったフライのないゴアテックス製のテントを使っていた。雨を避ける前室がないため、ザックも山靴もメインの外の地べたに濡れるがまま打ち捨てられている。せめて山靴くらい濡れないようにすれば、と気を揉むが、「どうせ中まで濡れているから」と意に介していない。たくましさを感じる。そして自分も現役時代はそうだったなーと思い出す。
 
夕食どきには、菅谷さんからお預かりした味噌漬けの神戸牛のステーキを焼く。クマさんが見つけたトタン板の上に、必殺交渉人のアカズさんが椹島の食堂でゲットしたアルミホイルを広げ、コンロを二つ並べて加熱。トタンのウェーブが、ほどよい感じに焼き跡をつくり、1人1枚の特大ステーキを現役に振舞った。これには現役も大喜びであった。
 
食後には、現役の2人がOBのテントを訪れ、しばし談笑。150周年をはじめ、現役とOBとの交流が進んでおり、昔と比べて垣根がなく打ち解けている。話を聞いていると、現役ではむしろ女子の方が好んでヤブに出かけているとの由。聞けば、第4班リーダーの小林さんは、私が現役時代に情熱を注ぎ込んで縦断を果たした知床のヤブを漕いだという。また、サブリーダーの甲斐くんは、私が現役1年のときに手痛い目に遭い、リベンジを含めて3度も同じ場所に行った至仏山から平ヶ岳に至る上越国境稜線に行っている。懐かしさ以上の感慨が湧いた。
 
最終日の下山は、第4班と行動をともにした。重い荷物と長旅の疲れを感じさせない現役の軽快な足取りに、何とかついていく。現役のリーダーとサブリーダーから1人1本のジュースと2リットルジュースのバクダンが出る。OBにもおすそ分けがあり、みんなで「感謝!」と声を合わせていただく。最後は駆けるように下って、バスの時間に間に合った。
 
椹島に戻ってシャワーを浴び、バスの時間までビールを片手に小打ち上げ。
 
第4班の唯一の2年生で、大きな荷物を背負ってコースリーダーを務めていた宮川くんに声をかけると、
 
「夏合宿のすぐあとに150周年、このあとはリーダー養成、山ばっかりでやってられないですよ」
 
との弁。そうそう、どの世界も中堅層はつらいよねー、と同調し「2年生がいちばんたいへんだよね」と相槌を打つと、
 
「いえ、執行部の3年生の方がたいへんだと思います」
 
と即答。 先輩と後輩の信頼関係が感じられ微笑ましかった。
 
中津をスタートして、ワンダーからワンダーへとつないでいく道程。そこに山が加わり、現役とOBとの出逢いが加わることで、山や仲間への思い、KWVの歴史のつながりも生まれたように思う。KWVの原点を改めて感じさせられた山行となった。
 
一緒にテント行に行っていただいたクマさん、オスタさん、アカズさん、チョボさん、後藤さん、ありがとうございました。また、昔の山の話などを聞かせていただいた小屋泊の諸先輩、元気な姿で元気を分けてくれた現役のみんな、素敵な出逢いをありがとうございました。
 
                                          (以 上)